「ここに人間味あふれる写真家がいます。 秋山亮二「津軽・聊爾(りょうじ)先生行状記」」写真歴史博物館

「ここに人間味あふれる写真家がいます。 秋山亮二「津軽・聊爾(りょうじ)先生行状記」」写真歴史博物館

名称:「ここに人間味あふれる写真家がいます。 秋山亮二「津軽・聊爾(りょうじ)先生行状記」」写真歴史博物館
開催期間:2021年1月4日(月)~2021年3月31日(水)
開館時間:10:00~19:00 (最終日は16:00まで/入館は終了10分前まで) 会期中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア) 写真歴史博物館
作品点数:小全紙サイズ・30点(予定)
入場料:無料
  ※ 企業メセナとして実施しており、より多くの方に楽しんでいただくために入場無料にしております。
主催:富士フイルム株式会社
後援:港区教育委員会
企画:フォトクラシック
住所:〒107-0052東京都港区赤坂9-7-3(東京ミッドタウン、FUJIFILM SQUARE内)
TEL:03-6271-3350
URL:写真歴史博物館

 秋山亮二(1942— )は戦後日本を代表する写真家の一人です。国内外での旅や滞在を通じ、各地で出会った人々や風景を独特の距離感と間合いでとらえた写真は、国際的にも高く評価されています。
 秋山はAP通信社東京支局、朝日新聞社写真部に勤めたのち、1967年にフリーランスの写真家となりました。当初はフォトジャーナリストの視点で、インドの飢餓や離島の八丈島の過疎化といった社会問題を積極的に取材していましたが、ジャーナリストという職業が自分に不向きであることを徐々に自覚したことで、もっと自分の周りをよく見ることの大切さに気づき、旅先や滞在先で出会う人々に心を寄せ、その光景を温かな眼差しでとらえる写真へと作風を変化させていきました。
 〈津軽・聊爾先生行状記〉は1978年に自身初の写真集として発表された、秋山の初期の代表作です。独立して7年が経過した頃、しばらくの間、東京を離れて暮らしたいと思い立った秋山は、ユニークな発想のもと、新たな作品づくりに取り組み始めます。それは「仮想の支局長として自らを地方都市に派遣し、その暮らしを仮想の本社へ写真でリポートすることで、何か見えてくるのではないか」という試みでした。家族とともに1975年夏から1977年春にかけて青森県弘前市に移り住んだ秋山は、仮想の役割を担い、津軽の地で過ごした月日と、出会った人々を愛情ゆたかに、軽やかに写真で記録していきました。これらの写真群は、戦後の高度経済成長を糧に発展する地方都市の文化をとらえつつ、一時ながら、同じ時間と場所に生きた津軽の人々の日常と人生の機微を、そして彼らに心を重ねようとする写真家の人間味あふれる視点を映し出しています。
 作品名にある「聊爾(りょうじ)先生」の「聊爾」とは、軽率・不作法などを意味する言葉で、秋山自身が本名の「亮二」という音に当て、生来の気質を自嘲的に、遊び心たっぷりに表現したものです。また一葉一葉の写真には、秋山の愛読書である江戸中期の滑稽本、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の文体を模した、秋山自身による擬古文調のユーモアに満ちた文章が添えられています。これらの言葉遊びは、秋山の写真にさらなる楽しみと味わいを加え、唯一無二の豊かな世界を作り上げています。
 本展は、1975年から約2年にわたり撮影された写真家・秋山亮二の傑作〈津軽・聊爾先生行状記〉より、精選した30点を新たに制作したオリジナルプリントで展示いたします。撮影から40年以上が経過した今、時代の変化とともに、写真も技術的・思想的に大きな変革を遂げました。しかし、1970年代の津軽で撮られた秋山の写真には、一瞬を記録するという写真の原点が鮮やかに表現され、その時、その場所でしかとらえることのできない時代と、一期一会の人々の人生が刻み込まれています。秋山がとらえた日本の古き良き時代の空気、人間同士の心が通い合う温かさは、ある世代には懐かしく、ある世代には新鮮に映り、現代を生きる私たちに新たな眼と、安らぎの時を与えてくれることでしょう。

関連記事

コメントは利用できません。

ピックアップ記事

  1. 「春岱-稀代の名工-」瀬戸市美術館
  2. 特別展「岩合光昭写真展 こねこ」秋田県立近代美術館
  3. 「返還30年 岐阜の赤羽刀総覧ー美濃伝をたどるー」岐阜県博物館
ページ上部へ戻る