秋・冬季コレクション展2021「生誕120年 荻須高徳 佐伯祐三展」山王美術館

秋・冬季コレクション展2021「生誕120年 荻須高徳 佐伯祐三展」山王美術館

名称:秋・冬季コレクション展2021「生誕120年 荻須高徳 佐伯祐三展」山王美術館
会期:2021.09.02〜2022.01.30
会場:山王美術館
観覧料金:当日一般1,000円
休館日:月曜日、火曜日、水曜日、12月27日~1月1日
住所:〒556-0017大阪府大阪市浪速区湊町1-2-3 ホテルモントレ グラスミア大阪22F
TEL:06-6645-7111
URL:山王美術館

一般財団法人山王美術館は、2022年秋に移転・オープンとなる。2009年の開館以来、11年間に渡り、コレクションのみを展示する美術館として数多くの方々に楽しんでもらった同館。今後はさらに、より多くの人々にご鑑賞頂ける環境づくり、またコレクションを形成する代表的な画家の作品群を、常時鑑賞できるよう2022年1月31日をもって閉館し、同年秋にOBP(京橋)にて独立館として移転・オープンする。閉館前の最後の展覧会として、「生誕120年荻須高徳・佐伯祐三展」の二人展を開催する。
本年は、画家として生涯のほとんどをパリで過ごし、パリを中心としたヨーロッパの古い街角を独自のタッチで描き続けた荻須高徳の生誕120年にあたる。それを記念して同館コレクションの中より画家の画業を辿る展覧会を開催する。また、荻須の3年先輩にあたり、その画業に多大な影響を与えた佐伯祐三の作品もあわせて展示する。明快で骨太な筆触で造形性に富んだパリの都市風景を描いた荻須高徳、画家としての生涯を、「描くこと」ただそれだけに捧げ、独特の荒々しいタッチでパリの街並みを描いた佐伯祐三。パリを愛し、パリに魅了された二人の画家による作品をぜひ、見比べてみてほしい。

荻須高徳と佐伯祐三の関係
1901年愛知県に生まれた荻須高徳は書画骨董を好む父と絵に理解のある母のもと、幼少の頃より絵を描くことが好きな少年として成長します。1922年東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学すると、藤島武二に写実的な画風を学び、同級生には岡田謙三、高野三三男、山口長男、小磯良平らといったのちに、日本の洋画界を代表する面々と席を同じく切磋琢磨する日々を送ります。
一方、荻須高徳の3歳年上の佐伯祐三は1898年大阪の中津の名刹の次男として生まれます。1918年東京美術学校西洋画科に入学すると、「なんぼでもデッサン」とつぶやきながら素描に打ち込み、中村彝、ルノワール、ゴッホの画風に影響を受けながら自己の表現を模索します。同校卒業後の1923年、妻子を伴って憧れのパリへと渡ります。
荻須と佐伯の接点は、荻須の同級生の岡田と高野が美術学校を中退して、すでにパリに渡ったことで荻須のパリ留学への気持ちが高まり、パリから一時帰国していた美術学校の先輩である佐伯に実際のパリでの生活について相談したことに始まります。1927年美術学校を卒業すると荻須は佐伯夫婦を頼って渡仏します。その後、荻須は佐伯が1928年に30歳の若さで病没するまでの間、頻繁に佐伯のアトリエを訪ね、佐伯の最後の写生旅行となるモランにも一緒に出掛けるなど交友を深めました。写生旅行での佐伯の朝から晩まで描き続ける鬼気迫る姿勢からは、画家としての大切なこと、描くことへの情熱や覚悟を学び、荻須の画業に多大な影響を与えました。
荻須と佐伯、この二人の画家としての資質の共通性と差異についてこれまで多く語られていますが、自身の芸術創造の為に生命を賭けて描いた佐伯の作品は、短すぎるその人生に重なって見る者を激しく揺さぶるのに比べ、荻須の作品は渡仏当初は佐伯の影響を受け荒々しいタッチで描きますが、その後は穏やかなタッチで客観的にパリの街並みを捉え、愛情と共感をもって描いている点に大きな違いがあると言えるのではないでしょうか。

作家紹介 荻須高徳(1901-1986)
1901年、愛知県稲沢市に生まれた荻須高徳は1921年に川端画学校に学び、藤島武二に師事します。1922年には東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。1927年に同校を卒業後、同年フランスへ留学、佐伯祐三らとともに描きます。画家としての創作活動の大半をフランスの首都、パリで過ごしました。初期の作品は、パリの街角や店先などを荒々しいタッチで描きますが、その後穏やかな造形性に富んだ構成で、パリの都市風景を描きました。1928年、サロン・ドートンヌに入選、1930年にはパリで初の個展を開催し、1934年にはジュネーブで個展を開催しました。この頃から作風も落ち着いた色調で静寂さを備えたものへと変化していきます。1940年、戦況悪化の為帰国、1948年、日本画家として終戦後はじめてフランス入国を許可され再びフランスへと渡り、以後パリを中心に制作活動を再開すると84歳で亡くなるまでパリに住み、人々の生活や歴史がしみ込んだパリの街並みを描き続けました。

荻須高徳≪パリの風景≫1950-55/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603
荻須高徳≪パリの風景≫1950-55/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603
荻須高徳≪広告のある風景≫1933/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603
荻須高徳≪広告のある風景≫1933/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603
荻須高徳≪自転車屋≫1955頃/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603
荻須高徳≪自転車屋≫1955頃/山王美術館蔵 © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2603

作家紹介文 佐伯祐三(1898-1928)
1898年、大阪・中津の名刹の次男として生まれた佐伯祐三は、府立北野中学(現・北野高校)在学中より本格的に画塾でデッサンを学びはじめます。1917年には上京し、翌年には東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。卒業後の1923年にフランスへと渡った佐伯は、野獣派(フォーヴィズム)の巨匠ヴラマンクの元を訪れた際に、自信作を「アカデミック」と一喝されたことが契機となり、自身の画風を模索し始めます。自己の芸術を見出すため葛藤、苦悩の末にパリの下町をモチーフに描き続けるようになります。1926年には健康上の理由によりやむなく一時帰国するものの、翌1927年には再度パリへと渡り、パリの街角や古い壁、郊外の建物や教会のある風景を描きましたが、連日の屋外での制作は病弱な佐伯の身体をむしばみ、1928年30歳の生涯をとじます。

佐伯祐三≪オニー風景≫1925年/山王美術館蔵
佐伯祐三≪オニー風景≫1925年/山王美術館蔵
佐伯祐三≪パリの街景(リュ・デュ・シャトー風景)≫1925年/山王美術館蔵
佐伯祐三≪パリの街景(リュ・デュ・シャトー風景)≫1925年/山王美術館蔵
佐伯祐三≪滞船≫1926年頃/山王美術館蔵
佐伯祐三≪滞船≫1926年頃/山王美術館蔵

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