「建築家・瀧光夫の仕事—緑と建築の対話を求めて」京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

「建築家・瀧光夫の仕事—緑と建築の対話を求めて」京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

名称:「建築家・瀧光夫の仕事—緑と建築の対話を求めて」京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
会期:2020年3月23日(月)から4月8日(水)、9月28日(月)から12月12日(土)
休館日:日曜日・祝日、10月17日(土)
開館時間:10-17時(入館は16時30分まで)
会場:京都工芸繊維大学美術工芸資料館 2階展示室
入館料:一般200円、大学生150円、高校生以下無料
  *京都・大学ミュージアム連携所属大学の学生は学生証の提示により無料
  *身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳または被爆者健康手帳をお持ちの方及び付添の方1名は無料(入館の際は、手帳の提示をお願いします)
主催:京都工芸繊維大学美術工芸資料館
住所:〒606-8585京都府京都市左京区松ヶ崎橋上町
TEL:075-724-7924
URL:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
  建築家・瀧光夫(1936~2016年)は、1936年11月19日、海洋学者の父・巌が1933年の開所時に助教授として着任した広島文理科大学(現・広島大学)附属臨海実験所のある尾道市の向島に生まれた。幼少期を過ごしたのは、穏やかな瀬戸内海と緑豊かな野山に囲まれた約7000坪の実験所敷地内のモダンな洋風の木造官舎である。絵を描くことが好きだった瀧は、海を眺めながらスケッチに没頭する。水平線を強調する作風や自然と建築との関係を大切にする独自の作風は、そんな環境の中で育まれていく。
 1955年4月、京都大学工学部建築学科に入学した瀧は、大学内のアトリエで設計活動を始めていた講師の増田友也(1914~81年)の研究室に入り、大学院では、増田の下で、尾道市庁舎(1960年)や神戸市須磨女子学園(1960年)などの設計を担当する。大学院修了後の1962年、「海外で学べ」という増田の勧めもあって渡米し、ニューヨークのコロンビア大学大学院へ留学、フランク・ロイド・ライトやエーロ・サーリネンなど、最前線のモダニズム建築にも触れていく。だが、瀧は、建築よりもアメリカとヨーロッパの庭園を精力的に見て歩いたという。増田の下での設計実務経験もあり、飛び級により一年間で大学院を修了し、現地の設計事務所で働く経験もする。1964年に帰国した瀧が携わったのは、丹下健三(1913~2005年)の指揮の下で進められていた1970年日本万国博覧会のお祭り広場の基本構想の実施設計の共同作業だった。その中で、京都大学助教授で造園家の中村一(1931年~)とも出会っている。
 1972年に瀧光夫建築・都市設計事務所を設立した瀧は、大阪を拠点に30年以上にわたって設計活動を展開し、中村からの依頼で最初に共同で設計を手がけた植物園施設である愛知県緑化センター(1975年)を手始めに、福岡市植物園(1980年)、服部緑地都市緑化植物園(1984年)、水戸市植物公園(1987年)など、全国各地に10件を超える温室や植物園を手がけ、環境デザインの世界を先駆的に切り拓いていく。そして、一連の鑑賞温室の設計により、1988年に日本造園学会賞を受賞、1992年には、シャープ労働組合研修レクレーションセンターI&Iランド(1990年)により日本建築学会作品賞を受賞し、造園と建築の両分野で表彰された最初の建築家となる。また、1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務め、多くの学生を育てた。
 しかし、その地道な作風と控え目な人柄もあって、瀧の名前と仕事を知る人は少ない。初めてとなる本展では、アトリエと自宅に遺された大量の手描きの設計原図やスケッチ、草稿などを中心に、瀧光夫の建築世界を紹介し、緑と建築との対話を軸に、彼が求めたランドスケープ・デザインの可能性と現代への示唆を読み取ろうとするものである。その豊かな建築世界と環境デザイン思想を通して、私たちの身のまわりの自然環境と建築や、都市のあり方について再考するきっかけになることを願っている。

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