「クルト・セリグマンと岡本太郎」川崎市岡本太郎美術館

「クルト・セリグマンと岡本太郎」川崎市岡本太郎美術館

名称:「クルト・セリグマンと岡本太郎」川崎市岡本太郎美術館
開催期間:2020年10月24日(土)~2021年1月24日(日)
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
休館日:月曜日(11月23日、1月11日を除く)、11月4日(水)、11月24日(火)、年末年始12月29日(火)~1月3日(日)、1月12日(火)
観覧料:一般1,000(800)円、高・大学生・65 歳以上800(640)円、中学生以下は無料 ※( )内は20名以上の団体料金
※常設展示とセットの料金となっております。
主催:川崎市岡本太郎美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
協賛:ライオン、大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網
後援:米国大使館
協力:The Seligmann Center of the Orange Country Foundation,Inc.,Weinstein Gallery, 堀内カラー、日本通運
助成:芸術文化振興基金
住所:〒214-0032神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
TEL:044-900-9898
URL:川崎市岡本太郎美術館
 岡本太郎(1911-96)はパリに滞在中の1933年、前衛芸術家の団体アプストラクシオン・
クレアシオン協会に参加し、多くの芸術家たちと親しく交わり、とりわけクルト・セリグマン
(1900-62)とは同協会員の中でも最も深く交流を持ちました。
 1934 年頃のセリグマンの作品と岡本の《空間》《リボン》のシリーズには、暗色の背景に
抽象的ながら量感を持ったモチーフを描き出すなど、共通する部分が多く見られます。
特に両者ともに「リボン」をモチーフとした作品を生涯を通じ制作していることから、
岡本はセリグマンの影響を濃厚に受けたといえます。
 セリグマンによる1930 年代前半の言説にも、岡本が後に提唱することとなる「対極主義」
と大きな関係があると考えられます。
 1935 年には、セリグマン、岡本、ヴュリアミの3人によりパリで展覧会が開催され、
 それをきっかけに「ネオ・コンクレティスム」(新具象主義)が提唱されました。
 また1936年、セリグマンがアルレット夫人と共に東京を訪問した際、パリの岡本太郎は、
父・一平に歓待するよう依頼し、一平の手配によってセリグマンは銀座・三越百貨店にて
個展を開催しました。それを機に「ネオ・コンクレティスム」は日本で脚光を浴び広く
知られることになります。
 1939 年、ユダヤ系であるセリグマンはドイツ・ナチスの侵攻を察知し、活動の拠点を
アメリカ・ニューヨークへ移します。1940 年代以降、セリグマンはパリ時代の芸術家仲間を
ニューヨークに次々に招いて紹介し、ニューヨーク派シュルレアリストの重鎮として活躍しました。
彼の尽力により、岡本太郎も同地で1953 年にニューヨークで個展を開催しています。
 その後、1951年開催の読売アンデパンダン展(第3回日本アンデパンダン展)における
 マーク・ロスコやジャクソン・ポロックなど27 名のアメリカ人芸術家の出品、また1956 年開催の
 「世界・今日の美術展」8名16点の出品も岡本とセリグマンの友情により実現されたものです。
 本展は、岡本太郎の盟友であるクルト・セリグマンの作品を岡本の作品とともに紹介し、
岡本芸術の形成過程を探ると共に、両者の友情によって第二次世界大戦後の日本の美術界に
もたらされた影響の意義について検証する展覧会です。

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