「宮本三郎、画家として I : はじまりから 戦争を経て 1920s-1950s」世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

《赤い背景》1938年

名称:「宮本三郎、画家として I : はじまりから 戦争を経て 1920s-1950s」世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
会期:2021年4月1日(木)~2021年9月26日(日)
開館時間:10:00~18:00 最終入館は17:30まで
休館日:毎週月曜日(ただし、5月3日[月・祝]、8月9日[月・振替休日]、9月20日[月・祝]]は開館、
   5月6日[木]、8月10日[火]、9月21日[火]は休館)      
観覧料:一般200円(160円)、大高生150円(120円)、65歳以上/中小生100円(80円)
   *障害者の方は100円(80円)、ただし小・中・高・大学生の障害者は無料
    介助者(当該障害者1名につき1名)は無料。証明書をご提示のうえ、お申し出ください
   *( )内は20名以上の団体料金
住所:〒158-0083東京都世田谷区奥沢5-38-13
TEL:03-5483-3836
URL:世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

《花と女》1932年
《花と女》1932年

2021年度の宮本三郎記念美術館では、洋画家・宮本三郎(1905-1974)の画業を、年間を通して2期に分けてご紹介いたします。第1部となる本展では、画家としての出発から初の渡欧期の作品、また従軍画家としての仕事や戦後にみつめた故郷の風景までを中心にご紹介します。

1905(明治38)年 石川県の小松市松崎町に生まれる
1920 (大正9)年 旧制小松中学校を中途退学。画家を志し、兄を頼って神戸に出る。
1922(大正11)年 上京。川端画学校洋画部に在籍し、藤島武二らの指導を受ける。
1927(昭和2)年 安井曾太郎を訪ね、以降、指導を仰ぐ。二科展初入選。以降、さまざまな美術展に出展し入選を重ねる。
1928(昭和3)年 結婚。翌年、妻・文枝との間に長女・美音子が生まれる。
1935(昭和10)年 世田谷区奥沢にアトリエ兼住居が完成し転居(当館はその跡地に建設され2004年に開館)。
1938(昭和13)年 初めての渡欧。パリではアカデミー・ランソンに在籍し、ルーブル美術館を中心に各地の美術館で模写を重ねる。
1939(昭和14)年 第二次世界大戦勃発により、帰国。
1942(昭和17)年 陸軍より南方への派遣が決定。以降、作戦記録画の制作に従事。
1944(昭和19)年 郷里・石川県小松市に疎開。
1945(昭和20)年 終戦後、同県金沢市に転居。翌年から金沢美術工芸大学にて教鞭をとる。
1948(昭和23)年 帰京。奥沢のアトリエ兼住居にて制作を続ける。
…続く
 後半となる第2期(2021.10.16-2022.3/13【予定】)もぜひお楽しみに

《赤松と渓流》1935年
《赤松と渓流》1935年
《エトルタの海》1939年
《エトルタの海》1939年
《ピアノ》1945~48年頃
《ピアノ》1945~48年頃
《飢渇》1943年
《飢渇》1943年
 《死の家族》1950年
 《死の家族》1950年

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 彦根屛風 彦根城博物館蔵
  2. 「返還30年 岐阜の赤羽刀総覧ー美濃伝をたどるー」岐阜県博物館
  3. 「春岱-稀代の名工-」瀬戸市美術館
ページ上部へ戻る