「井伊家と近代彦根」彦根城博物館

「井伊家と近代彦根」彦根城博物館

名称:「井伊家と近代彦根」彦根城博物館
会期:2021年4月15日(木)~6月14日(月)
休館日:6月8日(火)
開館時間:午前8時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
住所:〒522-0061滋賀県彦根市金亀町1-1
TEL:0749-22-6100
URL:彦根城博物館

おこのたび彦根城博物館では、5年に及ぶ井伊家近代文書の調査を完了しました。井伊家近代文書とは、旧彦根藩主井伊家に伝わる古文書のうち、明治5年(1872)以降のもの18,306点を指します。これら井伊家近代文書は、明治時代以降の井伊家や彦根の歴史を知る上で非常に重要な資料です。本展は、調査完了を記念し、その成果の一部を公開するものです。
お江戸時代、彦根藩領を治めた大名であった井伊家当主は、明治4年の廃藩置県の後、東京に本拠を移し、華族としての生活を始めました。最後の彦根藩主であった井伊直憲(なおのり)は、明治5年から6年にかけてアメリカやイギリス、フランスなどに遊学し、西洋社会を体験するなど、新しい時代の中で活動を始めました。同9年には、政府の華士族への給禄廃止にともなう歳入の激減により、直憲自らが家の事務を取り仕切ることを決定します。
お井伊家当主が東京に移った後、彦根では松原(彦根市松原町)にあった旧彦根藩下屋敷(お浜御殿)に千松館(せんしょうかん)が置かれ、井伊家の別邸として、また、井伊家の彦根における家政機関としての機能を持ちました。千松館には、井伊家が彦根近辺に所有する土地や、江戸時代から伝わる大名道具、彦根近辺の井伊家にゆかりのある社寺の維持・管理等の役割があり、これらに関する多くの資料が井伊家近代文書のうちに遺されています。直憲の息子である直忠(なおただ)が当主となった明治35年(1902)以降は、千松館の家職(かしょく)が記した職務日誌や家計を記録する収支伝票など、様々な事務文書の形式が整えられていき、千松館が家政機関として整備されていく様子が窺えます。また、普段は東京で暮らしていた直忠は、彦根に来た際、多くの人からの挨拶を受け、様々な物品の献上を受けるなど、旧藩主として地域の人々と多くの交流を持っています。直忠自らが演じる能を井伊神社(彦根市古沢町)で催すこともありました。
お井伊家は家の財産管理等の他に、彦根の経済や教育に関わる様々な活動を行いました。その一つが彦根製糸場(せいしば)の経営です。この近代的な製糸工場は当初は県営でしたが、後に井伊家が県から買い取り経営に当たりました。他にも、共立学校(後の彦根中学校、現在の彦根東高校)の設立に資金を提供し、旧彦根藩領出身の学生に奨学金を貸すなど、様々な分野で地域に貢献しました。また、井伊家は旧藩士とともに、13代直弼(なおすけ)の名誉を回復するべく、直弼の銅像建設をはじめ、直弼の顕彰活動に力を注いでいます。
お平成30年度に企画展「彦根製糸場-近代化の先駆け-」を開催し、調査の途中成果を公開しましたが、本展はその他の井伊家近代文書を初めて本格的に公開するものです。近代井伊家のあり方を、時代を追いながらみていくとともに、近代彦根における諸活動を紹介することにより、多彩な内容を持つ井伊家近代文書の魅力に触れていただきたく思います。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ページ上部へ戻る