特別展「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」兵庫県立美術館

特別展「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」兵庫県立美術館

名称:特別展「ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展」兵庫県立美術館
会期:2021年11月20日(土)~2022年2月27日(日)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
  ※特別展会期中の金曜日と土曜日は夜間開館 10:00~20:00(入場は19:30まで)
休館日:月曜日(祝休日の場合は翌日)
主催:兵庫県立美術館、産経新聞社、読売テレビ、ライデン国立古代博物館
後援:外務省、オランダ王国大使館
協賛:DNP大日本印刷、公益財団法人伊藤文化財団、一般財団法人みなと銀行文化振興財団
特別協力:公益財団法人日本教育公務員弘済会 兵庫支部
協力:ヤマト運輸
住所:〒651-0073兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1
TEL:078-262-0901
URL:兵庫県立美術館

《パディコンスの『死者の書』》第3中間期 第21王朝(前1076-944年頃) パピルス ライデン国立古代博物館蔵
《パディコンスの『死者の書』》第3中間期 第21王朝(前1076-944年頃) パピルス ライデン国立古代博物館蔵

大英博物館やルーヴル美術館などと並ぶ世界屈指のエジプト・コレクションを誇るオランダのライデン国立古代博物館が所蔵する、ミイラや副葬品を含む約200点を超す展示品によって構成された本展では、近代人を魅了した遺跡発掘から現代科学によって解明されたミイラの製作法など、古代エジプト文明の魅力をさまざまな視点から紹介します。

ライデン国立古代博物館

ライデン国立古代博物館
ライデン国立古代博物館

オランダ最古の大学都市ライデンの中心部にあるライデン国立古代博物館は、オランダ王国の初代国王ウィレム1世によって1818年に設立された、200年以上の歴史を誇る博物館です。17世紀前半にライデン大学が所蔵していた遺物を基盤としたエジプト・コレクションは現在約2万5千点にのぼり、ヨーロッパにおける5大コレクションのひとつとされています。
また、同館は今日にいたるまで60年以上にわたりエジプトでの発掘調査を行なっていることでも広く知られます。 1960年代にアスワン・ハイ・ダムが建設された際、オランダはユネスコとともに周辺地域における考古学調査の支援を行いました。 その活動を通してエジプト政府との良好な関係が生まれ、遺物の一部を持ち帰ることが許されたほか、ダムの底に沈む運命にあったタフェー神殿はオランダに贈られ、現在ライデン国立古代博物館の一階ロビーに移築されています。
また1970年代からはカイロ南西に位置するサッカラでの発掘調査を現在にいたるまで継続し、ツタンカーメン王の側近であったマヤの墓の調査など、世界をリードする研究も多数進められています。

同館に展示されている「マヤとメリトの彫像」
同館に展示されている「マヤとメリトの彫像」
一階ロビーに移築されたタフェー神殿
一階ロビーに移築されたタフェー神殿

サッカラでの発掘調査
サッカラは古代のエジプトで最初に都が置かれたメンフィスの墓地です。ここには王や庶民が前3000年頃の初期王朝時代から埋葬されました。
ライデン国立古代博物館は、新王国時代第18王朝から第19王朝にかけての墓から出土した彫像やレリーフの最も重要なコレクションの一つを所有しています。
これらの遺物はライデン大学に19世紀の初めに到着しましたが、当初はその正確な出土地が判明していませんでした。
そこで1975年にイギリスのエジプト探査協会と共同の調査隊を組み、同館所蔵のマヤとメリトの著名な彫像がもともと置かれていた墓を再発見すべく、調査を開始したのです。
手始めに、それらの墓にまだ近づくことが可能だった130年前にドイツのレプシウスによって描かれた、サッカラの地図を参考にしました。レプシウスはドイツにおける古代エジプト研究の祖というべき人物で、彼が率い、1842年から45年にかけて調査したエジプトのさまざまな遺跡の記録は大著『エジプトとエチオピアの記念物』として出版され、今日なお多くの研究者によって参照されています。
調査は成功し、マヤとメリトの墓が発見され大きな話題となりました。サッカラにおける発掘調査は、今日もなおトリノ・エジプト博物館とともに行われています。

サッカラで新王国時代の高官墓を発掘している様子
サッカラで新王国時代の高官墓を発掘している様子
アブー・ラワシュで初期王朝時代の墓を調査している様子
アブー・ラワシュで初期王朝時代の墓を調査している様子

棺を立てて展示する意義

(参考)ライデン国立古代博物館の常設展示の様子
(参考)ライデン国立古代博物館の常設展示の様子

今回、ミイラ棺の研究で世界的に知られるライデン国立古代博物館所蔵の貴重なミイラ棺10数点の借用が実現しました。 これだけの棺を一堂に展示する機会は国内で他に例がありません。
さらに本展では棺を横に寝かせた状態ではなく、特別に立てた状態で立体的に展示する予定です。
それにより、棺に記された「死者の書」などの呪文やさまざまな神々の図像、さらには精緻な装飾や制作の技法、色彩の豊かさや書体の違いまでを間近に見ることが可能になります。
近年新装なったライデンでの常設展示をイメージし、本展では一挙に棺が並ぶ幻想的かつ圧巻の空間を演出し、当時の人びとの死生観へと観客を誘います。

棺に書かれた装飾の意味

a・b 「ホルの外棺」後期王朝時代 (長さ202cm、幅70cm、 高さ70cm) c 「パネシィの外棺」第3中間期 (長さ200cm、幅54cm、高さ38cm) d 「ハイトエム ハトの棺」後期王朝時代 (長さ186cm、幅58cm、高さ 27cm)
a・b「ホルの外棺」後期王朝時代 (長さ202cm、幅70cm、 高さ70cm)
c「パネシィの外棺」第3中間期 (長さ200cm、幅54cm、高さ38cm)
d「ハイトエム ハトの棺」後期王朝時代 (長さ186cm、幅58cm、高さ 27cm)

これらの棺は死者のミイラを物理的かつ呪術的に保護するものとして制作され、墓に納められました。当時のエジプトでは貴重だった木材や、パピルスや亜麻布を漆喰などで重ねたカルトナージュなどを用い、入れ子にした複数の棺も作られました。
死後も来世での生活が続くと考えた古代エジプト人は、棺に多くの神々や死者の安寧を願う呪文を記したほか、棺を一つの宇宙的な存在と考え、「母」であるとともに天空の女神でもあったヌウトや、再生復活のシンボルであるスカラベなどが描かれることもありました。
本展では多くの棺を一堂に展示することで、装飾や神々の姿、呪文の変化などから人びとと来世の関わりが移り変わっていくさまを紹介します。

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