名称:企画展「頼朝以前―源頼朝はなぜ鎌倉を選んだか―」鎌倉歴史文化交流館
会期:2021年9月25日(土曜日)~2021年12月18日(水曜日)
開館時間:10:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日:日曜・祝日
主催:鎌倉歴史文化交流館(文化財課・鎌倉市教育委員会)
会場:鎌倉歴史文化交流館 別館・考古展示室
観覧料:一般300〔210〕円 小・中学生100〔70〕円 ※〔 〕内は20名以上団体料金
住所:〒248-0011神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-5-1
TEL:0467-73-8501
URL:鎌倉歴史文化交流館
治承4年(1180)、石橋山の合戦で敗北を喫した源頼朝は、房総半島から武蔵国を経て、相模国の鎌倉に入ります。さらに八幡宮を現在の場所に移し、大倉の地を御所と定め、150年続く鎌倉幕府の基礎を築いていきました。以後鎌倉は、武家政権の象徴として歴史の表舞台に立つことになります。
では、源頼朝の入部以前、鎌倉はどのような場所だったのでしょうか。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には「所素辺鄙、而海人野叟之外卜居之類少之、(鎌倉は元々辺鄙なところなので、漁師や農民以外、居を定めようという者は少なかった」(治承4年12月12日条)と記されています。しかし市内の発掘調査では、原始・古代の人々の生活の跡や埋葬の痕跡、奈良時代の郡衙の遺構や「天平五年」の銘をもつ木簡が見つかり、『吾妻鏡』の記述とは異なる鎌倉の姿、地域の要衝としての一面が明らかになっています。また伊勢神宮の文書を集めた『天養記』には、頼朝の父義朝が館を構えていたことが記されており、頼朝以前の鎌倉の姿を伝えています。
本展では、市内の発掘調査でみつかった原始・古代の出土品や、鎌倉時代以前の鎌倉を記した歴史資料から、頼朝以前の鎌倉の歴史に迫ります。
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