「信じるココロ―信仰・迷信・噂話」 太田記念美術館

「信じるココロ ―信仰・迷信・噂話」 太田記念美術館

名称:「信じるココロ―信仰・迷信・噂話」 太田記念美術館
会期:2022年2月4日(金)〜2月27日(日)
開館時間:10:30~17:30(入館17:00まで)
料金:一般 800円 大高生 600円 中学生以下無料
住所:〒150-0001東京都渋谷区神宮前1-10-10
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
URL:太田記念美術館

情報にあふれ、何を信じるかが難しい昨今ですが、江戸時代の人々が信じる対象も実にさまざまでした。富士詣、流行神のような民衆信仰から、鯰が地震を起こすなどの迷信、噂話まで、浮世絵にあらわれた「信じるココロ」の諸相を探ります。
江戸時代には、さまざまな民間信仰が庶民に親しまれました。浅草寺のような大寺院から町中の稲荷社まで、多数の寺社で毎月のように行われた縁日や、出開帳のようなイベントは数多くの人々で賑わいました。また庶民の関心は江戸市中にとどまらず、近場では江ノ島の弁財天や大山石尊社、遠方では富士山から伊勢神宮まで、人々は信仰のみならず行楽も兼ねて江戸の外へと繰り出したのです。
流行り廃りが激しいのも江戸庶民の信仰の特徴で、例えば嘉永2年(1849)には於竹如来を始めとする3つの神仏が一過性の大ブームとなります。当時の最新の世相を描いた浮世絵は、こうした流行を現代のSNSのように人々に伝え、拡散する役割を果たしました。他にも鯰が地震を起こすという迷信に基づいた「鯰絵」や、人魚が現れたというちょっと怪しいニュースを描いた作品まで、「信じる」をキーワードにさまざまな浮世絵を紹介します。

葛飾北斎「諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの瀧」
葛飾北斎「諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの瀧」
歌川広重「伊勢参宮宮川の渡し」
歌川広重「伊勢参宮宮川の渡し」
歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」
歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」

浮世絵でバズる!流行りの神仏
移ろいやすい江戸庶民の信仰を象徴する例として、流行神という現象があります。一過性のブームとして人気になる神仏のことを言い、特に嘉永2年に回向院で出開帳が行われた於竹如来は大きな人気を呼びました。同時期には内藤新宿正受院の奪衣婆、日本橋の翁稲荷も人気となり、多くの参詣者が集まるなど、3つの流行神が江戸を賑わせます。当時、歌川国芳をはじめとする絵師たちがこれらの流行神をこぞって描いており、浮世絵がこの流行をさらに拡散させる役割を果たしたのです。

歌川国芳「於竹大日如来 一切衆生もろもろの願をかける」
歌川国芳「於竹大日如来 一切衆生もろもろの願をかける」

大地震・流行病-迷信も笑いに変える
江戸の人々の生活の中では、さまざまな迷信が信じられており、そして迷信と浮世絵との関わりも深いものでした。例えば安政2年(1855)に起きた安政の大地震後には、鯰が地震の原因であるという迷信に基づいた、ユーモアたっぷりの鯰絵が数多く描かれて大人気となります。また疱瘡や麻疹、コレラなどが流行した際には、病気にまつわる迷信を題材にした戯画風の作品なども出版されました。

作者不詳「大都会無事」
作者不詳「大都会無事」
歌川芳藤「麻疹退治戯の図」
歌川芳藤「麻疹退治戯の図」
歌川国芳「木菟に春駒」
歌川国芳「木菟に春駒」

人魚が現れた!怪しいニュースも浮世絵に
江戸では、時にちょっと怪しいニュースや、本当か嘘かわからないような噂が話題となり、しばしば浮世絵の題材ともなりました。例えば作者不詳「海出人之図」は、越後国で海中から出現したという、人魚のような不思議な女性を描いた作品。女性は「これから伝染病が流行るが、自分の姿を絵に描いて家内に貼ると難を逃れる」と予言して消えたと言います。他にも本所(現在の隅田区あたり)で知られた奇妙な噂話を集めたシリーズ「本所七不思議之内」などを紹介。

作者不詳「海出人之図」
作者不詳「海出人之図」
三代歌川国輝「本所七不思議之内 置行堀」
三代歌川国輝「本所七不思議之内 置行堀」
浮世絵でバズる!流行りの神仏 移ろいやすい江戸庶民の信仰を象徴する例として、流行神という現象があります。一過性のブームとして人気になる神仏のことを言い、特に嘉永2年に回向院で出開帳が行われた於竹如来は大きな人気を呼びました。同時期には内藤新宿正受院の奪衣婆、日本橋の翁稲荷も人気となり、多くの参詣者が集まるなど、3つの流行神が江戸を賑わせます。当時、歌川国芳をはじめとする絵師たちがこれらの流行神をこぞって描いており、浮世絵がこの流行をさらに拡散させる役割を果たしたのです。
歌川国芳「奪衣婆の願掛け」

ちょっと困ったような顔をした老婆を取り囲むように、沢山の人々が手を合わせて拝んでいます。実はこの老婆は、内藤新宿の正受院に祀られていた奪衣婆像で、嘉永2年に於竹如来とともに大人気になった流行神の一つでした。奪衣婆とは、三途の川のほとりで亡者の衣服を剥ぎ取る鬼婆のこと。江戸時代末期には民間信仰の対象となって親しまれました。
図では奪衣婆の御利益に与ろうと、大勢の人々が「背が高くなりたい」「力持ちになりたい」「素敵な人と結婚したい」など、好き勝手な願い事をしており、奪衣婆も呆れ顔になっているようです。人々の台詞で埋め尽くされたようなデザインも印象的で、国芳らしいユーモアにあふれた一点です。

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