名称:「新しかる上に 龍子の日本画へのまなざし」大田区立龍子記念館
会期:2022年4月23日(土)~2022年7月3日(日)
開館時間:09:00 〜 16:30
休館日:月曜 月曜日が祝日の場合は月曜日開館し翌日休館、展示替期間・年末年始休館
入場料:一般(16歳以上) 200円、6歳以上 100円、65歳以上・未就学児 無料
会場:大田区立龍子記念館
住所:〒143-0024東京都大田区中央4-2-1
TEL:03-5777-8600
URL:大田区立龍子記念館
日本画家・川端龍子(1885-1966)は、画家を志した当初、洋画家を目指し油彩の作品を描いていました。28歳の時に転機が訪れ、日本画家へ転向、30代には再興日本美術院(院展)で活躍し始めます。そして、大正時代の自由な気風を背景に、龍子は洋画的表現を強く意識した日本画作品を発表し続けました。その後、昭和初期に自らの美術団体・青龍社を設立すると、「会場藝術」を標榜し、龍子は日本画の常識を打ち破る大作を次々と発表します。画壇の風雲児と呼ばれる活躍の中でも、龍子は「いわゆる日本画、いわゆる日本における洋画の区別は有るべきでは無い」と、日本画に洋画的表現の特長を融合させ、制作を続けました。一方、戦後になると、墨を基調とした古典的な描法にも龍子は挑みます。1958(昭和33)年の第29回ヴェネツィア・ビエンナーレにおいては、国際展で龍子がどのような作品を制作するか注目される中、墨の滲みをきかせ自宅の仏像を描いた連作「吾が持仏堂」が発表されました。
このように、龍子は時代ごとに表現方法を巧妙に変化させながら、独自のスタイルを生み出していきました。本展では、《御来迎》(1957年)や《花摘雲》(1940年)、《山葡萄》(1933年)といった洋画的表現が意識された作品をはじめ、油彩《ひまわり》(明治時代後期)から院展時代の作品《土》(1919年)、《賭博者》(1923年)、そして、ヴェネツィア・ビエンナーレ出品の連作「吾が持仏堂」(1958年)等の展示を通して、「新しかる上」に「伝統を活かすの途」があるとした龍子の日本画観に迫ります。
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