「1920’s-1930’s 三岸好太郎が生きた時代」mima 北海道立三岸好太郎美術館

山村耕花《踊り・上海ニューカルトン所見》1924年 北海道立近代美術館蔵

名称:「1920’s-1930’s 三岸好太郎が生きた時代」mima 北海道立三岸好太郎美術館
会期:2022年7月16日(土)〜2022年9月25日(日)
会場:mima 北海道立三岸好太郎美術館
時間:9:30〜17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:月曜日 7月19日(火)、9月20日(火)
   ※7月18日、9月19日の月曜は開館
観覧料:一般 610円(500円)
    高大生 360円(250円)
    小中生 250円(200円)
    ※( )内は前売および10名以上の団体料金
    ※リピーター割引等あり(詳細は直接美術館までお問い合わせください)
住所:北海道札幌市中央区北2条西15丁目
TEL:011-644-8901
URL:mima 北海道立三岸好太郎美術館

国吉康雄《横たわる裸婦》1929年 北海道立近代美術館蔵
国吉康雄《横たわる裸婦》1929年 北海道立近代美術館蔵

1923年の画壇デビューから、わずか10年あまりの間に日本の近代洋画史を彗星のごとく駆け抜けた三岸好太郎。
三岸は何を見て、何に心躍らせていたのか。激動の1920~1930年代に変貌を重ねた三岸の軌跡と、同時代の国内外の画家たちの秀作を紹介します。
◆三岸好太郎(1903-1934)プロフィール
北海道札幌市生まれ。旧制中学の時代に油絵に興味を抱き、1921年に画家を志して上京。生活に苦労しながら絵を描き、1923年に「檸檬持てる少女」春陽会第1回展に入選を果たす。素朴派への傾倒をみせる初期作品は広く評価され注目を集めた。1926年に中国へ旅行し、上海の租界においてヨーロッパ文化の刺激を受ける。その体験は、彼のロマンティックな資質をいっそう開花させ、1928~32年にかけてフォーヴ風のタッチで道化やマリオネットを描いた一連の作品が生まれた。1932年末からは前衛絵画に関心を持ち、抽象的なスタイルや、「オーケストラ」(1933年)のように絵具の表面を引っ掻くという、大胆な手法を試みた。最晩年には超現実主義(シュルレアリスム)に傾倒し、特に蝶と貝殻を描いた。亡くなる直前にモダンなアトリエの建設に着手したが、その完成を見る前に病に倒れた。
彼は画家としての短い生涯のうちに、同時代の美術思潮を反映して画風を変化させ続けた。しかし新たなスタイルへの果敢な挑戦をしつつも、彼独自の詩的な感覚と繊細な感受性があらゆる作品に見いだされ、そのことにより彼は日本の近代美術史のなかの傑出した存在となっている。

山内弥一郎《運河》1927年頃 北海道立近代美術館蔵
山内弥一郎《運河》1927年頃 北海道立近代美術館蔵
前川千帆《新宿の夜》1931年 北海道立近代美術館蔵
前川千帆《新宿の夜》1931年 北海道立近代美術館蔵
三岸好太郎《中国の少女》1926年 北海道立三岸好太郎美術館蔵
三岸好太郎《中国の少女》1926年 北海道立三岸好太郎美術館蔵
ハイム・スーチン《祈る男》1921年 北海道立近代美術館蔵
ハイム・スーチン《祈る男》1921年 北海道立近代美術館蔵
三岸好太郎《コンポジション》1933年頃 北海道立三岸好太郎美術館蔵
三岸好太郎《コンポジション》1933年頃 北海道立三岸好太郎美術館蔵

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