「ある画家による京都 西川純の素描」京都府京都文化博物館

「ある画家による京都 西川純の素描」京都府京都文化博物館

名称:「ある画家による京都 西川純の素描」京都府京都文化博物館
会期:2022年10月15日(土)~12月11日(日)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
入場料:一般500円(400円)、大学生400円(320円)、高校生以下無料
   *( )内は20名以上の団体料金
   * 総合展示(2階)とフィルムシアター(3階)をご覧いただけます
   (フィルムシアターは催事により有料の場合があります)
会場:京都文化博物館 2階総合展示室「京の至宝と文化」(北室)
開室時間:10:00~19:30(入場は19:00まで)
主催:京都府、京都文化博物館
住所:〒604-8183京都府京都市中京区三条高倉
TEL:075-222-0888
URL:京都府京都文化博物館

《京都東山銀閣寺附近》1905(明治38)年4月24日
《京都東山銀閣寺附近》1905(明治38)年4月24日

 本展では、明治後期から昭和にかけて活躍した京都出身の洋画家・西川純(1886-1974)が描いた京都の街並みを紹介します。西川は、明治後期に鹿子木孟郎の室町画塾、浅井忠の聖護院洋画研究所、関西美術院に学び、多くの優れた素描を残しました。岡崎、銀閣寺道、白川村、浄土寺村などの風景を鉛筆で描き、当時の様子を今に伝えます。風景の他にも、浅井忠に指導を受けた人物デッサン、1903(明治36)年に開園した京都市動物園で見た動物の写生などがあり、明治後期の画塾でのデッサン技術の高さを物語っています。
 昭和に入ると、西川は記憶を頼りに昔の京都の街並みを描き、「京の家々集」として、300点余りを残しました。京都の面影をよく表した作品は、人々の中に眠る懐かしい記憶を呼び起こします。
 今回の展示では、初期の明治期のデッサンを中心に、水彩画、油彩画を含む、京都の風景にまつわる西川の画業の一端を紹介します。

《青年スケッチ》1906(明治39)12月12日
《青年スケッチ》1906(明治39)12月12日
《裸婦スケッチ》1908(明治41)年1月31日
《裸婦スケッチ》1908(明治41)年1月31日
《(馬頭部)》1908(明治41)年6月3日
《(馬頭部)》1908(明治41)年6月3日
《岡崎美術院の裏》1905(明治38)年10月13日
《岡崎美術院の裏》1905(明治38)年10月13日
《四条の南座と磧の涼み風景:京の家々集 no.97》
1969(昭和44)年
《四条の南座と磧の涼み風景:京の家々集 no.97》 1969(昭和44)年
《祇園町と知恩院の遠望:京の家々集 no.113》
《祇園町と知恩院の遠望:京の家々集 no.113》
《三条通高倉 日本銀行京都支店 . 現平安博物館:京の家々集 no.156》
《三条通高倉 日本銀行京都支店 . 現平安博物館:京の家々集 no.156》
《三条通東洞院 郵便局前から東方を見る:
京の家々集 no.150》
《三条通東洞院 郵便局前から東方を見る: 京の家々集 no.150》

西川 純 (1886-1974年)
京都に生まれる。本名は純二。手描友禅の仕事に従事していたが、大下藤次郎の水彩画に惹かれ、
1904(明治37)年に鹿子木孟郎(かのこぎ たけしろう)の室町画塾に入門。この時、鹿子木、
都鳥英喜、黒田重太郎らとともに難波駅前の南地パノラマ館で『日本海海戦パノラマ』を制作した。
室町画塾が閉鎖されると浅井忠の聖護院洋画研究所に移り住み、その後、関西美術院に学ぶ。
大阪三越呉服店衣装部、島津製作所に勤めながら、京都市展、京展へ出品、朝日会館や丸善画廊で
個展を開催している。初期の鉛筆画からはデッサン力の高さが見てとれるが、初期の油彩画の作例は
ほとんど伝わっていない。
晩年は京の民家や街並みをスケッチして歩いたり、また記憶を頼りに昔の風俗を描くなどした。

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