名称:「歌人・小田島孤舟展」萬鉄五郎記念美術館
会期:令和4年12月10日(土曜)から令和5年2月26日(日曜)まで
開催時間:午前8時30分 から 午後5時 まで
(入館は午後4時30分まで)
開催場所:萬鉄五郎記念美術館、八丁土蔵
費用:一般400円、高校生・学生250円、小・中学生150円
住所:〒028-0114岩手県花巻市東和町土沢5区135
TEL:0198-42-4402
URL:萬鉄五郎記念美術館
「われひとり よのつねびとの みちこえて しづかにゆかむ さびしかれども」
歌人・小田島孤舟(おだしま こしゅう)は現在の花巻市東和町出身で萬鉄五郎の同級生にあたります。彼は72年の生涯で短歌3800余首、歌集15編を残し、岩手歌壇の育成に貢献し「岩手歌壇の父」と呼ばれています。
小田島孤舟(本名:理平治)は1884(明治17)年、和賀郡小山田村(現在の花巻市東和町北小山田)の農家・佐々木金太郎の次男として生まれます。土沢尋常高等小学校入学後、共に学んだのが萬鉄五郎でした。校長の新田浅之助に絵を教わり、孤舟も画家を志しますが「われ終に 萬鉄五郎に 及ばぬを 知りて絵かきを 思ひとまりき」と詠んでいるように、萬に敵わないと悟った彼は文学の道に進みます。
岩手県師範学校在学中の1905(明治38)年には、石川啄木の小天地社を訪れ、『明星』に歌を発表するなど、歌人として活動し始め、浄法寺小学校に赴任後の1909(明治42)年、俳人の相澤暁村とともに雑誌『曠野(こうや)』を発行。当初は地方の文芸誌に過ぎなかった『曠野』ですが、啄木ら中央で活躍する文人らも寄稿するなど、地方文壇と中央文壇を結ぶ画期的な役割を果たしていきます。1912(明治45)年には、第一歌集『郊外の丘』を発表。この歌集は宮沢賢治も購読し、彼の歌作に影響を与えたとも言われます。萬鉄五郎とも生涯を通じ交友し、孤舟が発行した歌集や『曠野』の表紙画のいくつかは萬が手掛けています。
また、教育者として、浄法寺小学校、盛岡高等女学校、盛岡女子商業学校、岩手女子高等学校などで教鞭をとったほか、『曠野』『白梅』『岩手教育』などの雑誌編集にも優れた才能を発揮していきます。晩年は岩手歌壇の育成に励み、書家としても活動した彼の自宅は「杉風洞」と呼ばれ、多くの文化人が訪れ、短歌と書の聖地となっていました。
本展では、歌人・小田島孤舟の作品と生涯を辿りながら、萬鉄五郎ら文化人たちとの関りにも焦点を当て紹介します。
休館日は毎週月曜 注)月曜が祝日の場合は翌日 休館、年末年始12月29日から1月3日までです。
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