「コレクションの異境 小貫政之助展 ~“永遠の不安”を描く~」たましん美術館

「コレクションの異境 小貫政之助展 ~“永遠の不安”を描く~」たましん美術館

名称:「コレクションの異境 小貫政之助展 ~“永遠の不安”を描く~」たましん美術館
会期:2022年12月3日(土)~2023年3月26日(日)
   前期: 12月3日(土)~1月29日(日)
   後期: 2月4日(土)~3月26日(日)
開館時間:10:00 〜 18:00
休館日:月曜日
   12月29日〜1月3日・1月10日・1月31日〜2月3日は休館
   1月9日は開館
入場料:一般 500円、大学生・高校生 300円、中学生以下 無料
会場:たましん美術館
主催:公益財団法人たましん地域文化財団
後援:福生市、福生市教育委員会、公益財団法人立川市地域文化振興財団
住所:〒190-8681東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店1F
TEL:042-526-7788
URL:たましん美術館

「コレクションの異境 小貫政之助展 ~“永遠の不安”を描く~」たましん美術館
「コレクションの異境 小貫政之助展 ~“永遠の不安”を描く~」たましん美術館

妖美な姿態で独りたたずむ女。魔性と母性、孤独と不安、そして、生と死。画面のなかに浮かぶ微笑みは、官能的でありながら、人間の心理をもうつし出します。これらはすべて、当館が所蔵する約5300点のコレクションのなかでも一際異彩を放つ、小貫政之助(1925-1988)の作品群です。
1925(大正14)年、東京市京橋区(現・東京都中央区)に生まれた小貫は、無二の女性像を追い求め、激動の昭和を絵筆のみで生き抜いた鬼才の画家です。本展では、戦前の素描や家族の肖像から戦後の大作、代名詞となる女性像の確立まで、近年収集のコレクションでその画業の全貌に迫ります。
幼い頃から画家を志した小貫政之助は、1943(昭和18)年に太平洋美術学校を卒業し、その一歩を踏み出します。しかし時は太平洋戦争末期。召集を受けると、遺書の代わりに自画像を描くなど、悲痛な覚悟をもって戦火に対峙していきます。20歳で迎えた終戦。ビルの焼け跡や瓦礫、死体を思わせる描写など、戦後描かれた構成的表現には、時代の心情が色濃く表れています。
結婚を機に西多摩郡福生町(現・福生市)へ移住し、1952(昭和27)年、自由美術家協会展(現・自由美術展)に《女人》で初入選。読売アンデパンダン展に連続出品するなど、画家としての活動を本格化させ、1953(昭和28)年には美術評論家・瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で個展を開きます。その後も個展・グループ展で活発に発表。独自の表現様式を探求し、1988(昭和63)年にこの世を去るまで多様な女性像を描き続けました。人工物の氾濫する現代を表そうとグラフィカルな版画技法を取り入れ、絵筆に代えて歯科用器具を用い、ときに血液も絵具にしたというその表現からは、画業に狂う彼の生きざまが迫りくるようです。
本展は、2017(平成29)年、たましん歴史・美術館で開催した「小貫政之助-生きた時代の証言-」を機とした、作家と縁のある方々からの作品寄贈が契機となりました。今では、代表作を含む初期から晩年の約300点を所蔵するに至ります。
戦争の不条理と戦後の混乱。そして、安定から飽食の時世へ。そのうねりのなかで見つめた肉親の死と、戦禍に消えていった同世代の多くの命。昭和という時代は、小貫の画風に強く影響しました。 “女”を通して表現しようとした精神の奥深さ、彼が「造型してゆきたい」と語った「永遠の不安、恐れ、悲しみ」を肌に感じていただければ幸いです。

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