名称:テーマ展「大名の装い―井伊家伝来装束を中心に―」彦根城博物館
会期:2023年3月17日(金)〜4月17日(月)
開館時間:午前8時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
料金:一般500円 小中学生250円(展示替等による一部休室時 一般300円 小中学生150円)
会場:彦根城博物館
住所:〒522-0061滋賀県彦根市金亀町1-1
TEL:0749-22-6100
URL:彦根城博物館
古来、衣服は、単に体を保護するだけでなく、形や色、素材などによって身分や地位を示すという役割も担ってきました。一定の規範にそった整った装いは、日常の衣服とは区別して装束と呼ばれ、これらの衣服に関する規則のことを服制といいます。
日本における最も古い服制は、飛鳥時代のものです。奈良時代には、律令制の官位に基づき、中国の装束に準拠した詳細な服制が定められました。平安時代になると、装束は日本の慣習や風土に適応して次第に和様化し、華やかな宮廷文化を背景に、束帯(そくたい)や衣冠(いかん)といった、現在まで受け継がれる伝統的な装束の基礎が確立します。これら朝廷に由来する装束は、公家装束と総称されます。その後、武家の勢力が拡大すると、その好みに適った直垂(ひたたれ)をはじめとするより活動的な装束が台頭し、武家装束として発展していきました。一方で、公家装束は、鎌倉時代以降も武家政権の服制に礼装として取り入れられていきます。
江戸幕府の服制は、室町幕府に倣ったものです。公家装束である束帯と衣冠が最高位の格式の礼装とされ、将軍宣下や歴代将軍の大法会といった特に重要な儀礼の装束となりました。これらに次ぐ礼装に位置づけられたのが、武家装束の直垂です。左右の襟を引き合わせて着る上着と袴を一揃いとし、年始に江戸城へ登城して将軍と対面する年始御礼など、重要な行事で用いました。最も広く使用されたのが、袖の無い上着である肩衣と袴を組み合わせた裃(かみしも)で、裾の長い袴を着ける礼装の長裃と、通常の袴を用いる平服の半裃とがありました。
このように、服制を遵守した儀礼によって、将軍は家臣を統制し、これに参加する大名は、将軍を頂点とする幕府の中における、自らの地位や家の格式を確認することにもなりました。また、装束は、将軍から大名へ、大名から藩士へ、功労に対する褒賞あるいは遺品分けとして下賜される場合があり、これによって主従の結びつきを確認し、また深めることにもなりました。
当館には、彦根藩主をつとめた井伊家の当主や世子の用いた装束が伝えられています。残された装束はごく一部ですが、これらは大名の装束の有り様をうかがうことができる貴重な資料です。本展では、井伊家伝来の装束を初めて公開するとともに、藩主の肖像や古文書をあわせて展示し、束帯や裃といった礼装を中心に江戸時代の大名の装いを紹介します。
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