名称:「村野藤吾と長谷川堯―その交友と対話の軌跡」京都工芸繊維大学美術工芸資料館
会期:2023年3月22日〜2023年6月10日
開館時間:10-17時(入館は16時30分まで)
休館日:日曜日・祝日
会場:京都工芸繊維大学美術工芸資料館
入場料:一般 200円
大学生 150円
高校生以下無料
※本学の学生・教職員は学生証・職員証の提示により無料で入場できます。
※大学コンソーシアム京都に加盟する大学の学生は学生証の提示により無料で入場できます。
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳または被爆者健康手帳をお持ちの方及び付添の方1名は無料(入館の際は、手帳またはミライロIDの提示をお願いします)
住所:〒606-8585京都府京都市左京区松ヶ崎橋上町
TEL:075-724-7924
URL:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
建築評論家・長谷川堯(1937~2019年)は、島根県に生まれ、早稲田大学文学部で美術史を専攻する。そこで恩師の美術評論家で建築評論家の草分けでもあった板垣鷹穂(1894~1966年)の指導を受け、近代建築史を卒業論文のテーマに選ぶ。そして、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、ワルター・グロピウスの建築思想をテーマとする卒業論文をまとめる。板垣は、この卒業論文を高く評価し、著名な建築雑誌『国際建築』を主宰する小山正和に伝えたことから、この論文は同誌に連載され、長谷川は、1960年の大学卒業と同時に建築評論家としてデビューを飾ることになる。だが、文学部出身という異色の存在でもあり、その道のりは決して順調なものではなかった。それでも、精力的な執筆を続けた長谷川は、独自の視点から日本の近代建築史を検証し、1972年、『神殿か獄舎か』(相模書房)で、大きな問いかけを行う。そして、この前後から、村野藤吾(1891~1984年)と出会い、親交を深めていく。また、村野も、長谷川に信頼を寄せて、繰り返し対談の相手に指名する。こうして、長谷川は、村野の再評価と近代建築史の再考という仕事を進めていくことになる。そして、村野の没後も、『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会2011年)を上梓するなど、現代へと続く村野藤吾の歴史的評価を決定づける多くの活動を続けたのである。
本展では、二人の交友と対話の軌跡を追いながら、長谷川の眼差しと言葉を手がかりに村野の建築を振り返り、建築評論家・長谷川堯の成し遂げた仕事を通して、建築を社会が共有するために必要なものとは何か、を考える機会にしたい。
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