さくらいともか「はりこのほとけ」Art Spot Korin

さくらいともか「はりこのほとけ」Art Spot Korin

名称:さくらいともか「はりこのほとけ」Art Spot Korin
会期:2024年03月19日(火) 〜 2024年03月31日(日)
会場:Art Spot Korin
時間:15:00~19:00(最終日は18:00まで)
休館日:月曜日
料金:無料
住所:〒605-0089 京都市東山区元町367-5
TEL:075-746-3985
URL:Art Spot Korin

現代美術家・絵本作家として活躍する、さくらいともかの個展。今回は仏像をテーマにしたオブジェ作品を展開し、現代において作家が仏像を創るその可能性について考察します。信仰対象としてではなく立体造形として仏像に魅かれてきたというさくらいが「今を生きる私が創り得る仏像」を考え、試行したその形をご高覧ください。
わたしが初めて仏像を見に奈良の西の京を訪れたのは中学生の頃だったろうか。
昭和の大復興が始まる前の薬師寺は荒れていて、教科書にも出てくる有名なご本尊の薬師三尊は、こぢんまりとした仮金堂に窮屈そうにおさまっておられた。もちろんお目当てはその薬師三尊だったが、わたしにはその大きさと形のバランスがピンとこず、なんだか肩透かしにあったような気分でお堂を出たのを覚えている。
仮金堂の斜め前には創建当時からの東塔が、双子の片割れを失って寂しそうに立っていた。失われた西塔の心礎には水が溜まり、周りにペンペン草が揺れていた。
その当時回廊はなく東塔の横に添うように立っていたのが鎌倉時代以来の東院堂で、そのたたずまいから、わたしにはむしろ東塔と東院堂がひとそろいの建物のように見えた。その東院堂にはもう一体国宝の白鳳仏があるらしいが、薬師三尊に比べると人気がないし、実際人気も少なかった。
ところが、階を上り、靴を脱いで東院堂に入り、わたしは厨子の中のその聖観音菩薩像に絶句することになる。なにこれ、、、
それ以来、わたしは幾度となく東院堂に足を運び、聖観音の前に座っては1時間ほどの時を過ごしてきた。
聖観音菩薩像について詳しく知らない。一応来歴やまつわる話を読みはしたが、すぐに忘れた。前にすわってただ眺めるだけでいい。おまけにわたしは強度の近眼で、眼鏡ごしにも観音像の細部は見えていない。ただ金色の光背の前にほとけさまとしての塊がまっすぐに立っている。
もう一体、法隆寺の百済観音に出会うのはもう少し後の話。とにかく十代のわたしは観音像に魅せられ、仏像を作りたいと思うようになる。しかし、どうのようにして作ればいいのか?
わたしは仏師が作るような仏像に興味はなかった。仏像の細かな約束事にも関心がない。ひどい話だろうが如来と菩薩の違いすらどうでもいい。そんなわたしがどうのようにして仏像を作ればいい?
時はまたたく間に流れる。仏像を作りたいという思いはずっとあったが、いい考えは浮かばなかった。
ある時ふと思った。仏像を作りたいと思ってきたが、わたしが仏像を作って、それがほとけに見えるのか? 問い方を変えてみた。わたしが形作ったものがほとけに見える瞬間はあるのだろうか? あるいはただ量感をもつ塊で終わるのか。ほとけに見える形が一つでもあれば、ほとけになる瞬間がほんの一瞬でもあれば、それでいいのではないか。いまならそれを試すことができる。いや試さずにおくことはできない、と。
コロナ騒ぎの最中の話である。(さくらい)
さくらいともか
1956年大阪生まれ。現在京都在住。同志社大学卒業後から現代美術家として活動を開始し、1980年の初個展(京都)依頼、個展・グループ展にて作品を発表する。2000年頃からは児童文学や詩文、イラストにも活動範囲を広げ、童話や絵本の制作・出版も行う。主な著書に「森のすみか」(福音館書店)、「ひいばあのチンチンでんしゃ」(岩崎書店)など。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 公募展「那珂川町を描く-心に残る風景-」那珂川町馬頭広重美術館
  2. 「冬のけしき」夢二生家記念館・少年山荘
  3. 「動き出す浮世絵展 TOKYO」寺田倉庫G1
ページ上部へ戻る