「梅津庸一 | エキシビション メーカー」ワタリウム美術館

「梅津庸一 | エキシビション メーカー」ワタリウム美術館

名称:「梅津庸一 | エキシビション メーカー」ワタリウム美術館
会期:2024年5月12日(日)〜2024年8月4日(日)
会場:ワタリウム美術館
開館時間:11:00 〜 19:00
休館日:月曜日
   7月15日は開館
入場料:一般 1500円、学生(25歳以下)・高校生・70歳以上・障がい者手帳提示と付き添い1名 1300円、中学生・小学生 500円
住所:〒150-0001東京都渋谷区神宮前3-7-6
TEL:03-3402-3001
URL:ワタリウム美術館

梅津庸一 クリスタルパレス 2023年 紙にインク、水彩、アクリル、油彩 撮影:今村裕司
梅津庸一 クリスタルパレス 2023年 紙にインク、水彩、アクリル、油彩 撮影:今村裕司

タイトル「エキシビション メーカー」は、1990年、ワタリウム美術館の初めての美術展をキュレートしてくれたハラルド・ゼーマンが、当時はキュレーターという言葉は世界でも使われておらず、「展覧会を作る人」というこの言葉を使っていた、というエピソードとも関わっています。
本展は美術家、梅津庸一に構成をお願いしました。ワタリウム美術館設立以前に和多利志津子(前館長)の交流によって集められた作品群(これらのほとんどはワタリウム美術館では未公開)を軸に、現在活躍中の作家たちを加えるという展示構成がとられ、さらに展示方法にも工夫を凝らしています。
これら44名のアーティストの作品が、本展にて新たな輝きを放つことを願っております。
アーティスト
梅津庸一、金子光晴、中林忠良、猪熊弦一郎、瀧口修造、ハンス・エルニー、堀内正和、古沢岩美、桂ゆき、篠田桃紅、駒井哲郎、吉田穂高、丹阿弥丹波子、パウル・ヴンダーリッヒ、オットー・ピーネ、ホルスト・ヤンセン、靉嘔、R.B.キタイ、佐野ぬい、宇野亞喜良、中西夏之、ロルフ・エッシャー、山野辺義雄、アリギエロ・ボエッティ、櫃田伸也、井田照一、アカイ・フジオ、萩原朔美、安東菜々、浜村博司、河嶋淳司、高松ヨク、梅沢和雄、梅沢和木、麻田浩、辻元子、佃弘樹、冨谷悦子、鈴木貴子、星川あさこ、佐藤英里子、山﨑結以、息継ぎ、土屋信子

梅津庸一_作品
梅津庸一 夢の転写 2024年 ジグレープリント、エッチング
梅津庸一_作品 梅津庸一 夢の転写 2024年 ジグレープリント、エッチング

Artists from our Collection所蔵作家

吉田穂高

YOSHIDA Hodaka 1926-1995 日本
1955年に中南米を旅行し、マヤ文明の遺跡に感銘を受け、原始美術から着想を得た抽象版画を制作。1964年に渡米し、ポップアートに触発され、写真製版を取り入れた現代的な作風へと変化。木版画、シルクスクリーン、写真製版など多様な技法を併用した先駆的な作品で国際的に活躍した。

パコたちの朝 1968
吉田穂高
YOSHIDA Hodaka 1926-1995 日本
1955年に中南米を旅行し、マヤ文明の遺跡に感銘を受け、原始美術から着想を得た抽象版画を制作。1964年に渡米し、ポップアートに触発され、写真製版を取り入れた現代的な作風へと変化。木版画、シルクスクリーン、写真製版など多様な技法を併用した先駆的な作品で国際的に活躍した。
パコたちの朝 1968
丹阿弥丹波子

TAN-AMI Niwako 1927- 日本
1960年頃から50年以上にわたり、メゾチントによる銅版画を制作。身近にあるものをモチーフとした作品を数多く発表。「常に心を平静に保とうとするも、自ずと感情の揺らぎが刻みこまれてしまう」と語るように、季節の表情や自身におこる出来事など、日々の瞬間を日記のように版画に綴ってきた。

花¹ 1973 エッチング
丹阿弥丹波子
TAN-AMI Niwako 1927- 日本
1960年頃から50年以上にわたり、メゾチントによる銅版画を制作。身近にあるものをモチーフとした作品を数多く発表。「常に心を平静に保とうとするも、自ずと感情の揺らぎが刻みこまれてしまう」と語るように、季節の表情や自身におこる出来事など、日々の瞬間を日記のように版画に綴ってきた。
花¹ 1973 エッチング
梅沢和木

UMEZAWA Kazuki 1985- 日本
カオス*ラウンジのコアメンバーでもあり、インターネットおよびキャラクター表象を現代美術に持ち込んだ梅沢の仕事はゼロ年代からテン年代中頃までのアイコンだったと言っても過言ではない。そして、今回は梅沢のもうひとつのルーツである日本の版画史の文脈を組み込んだ新作を発表予定。

ラヴォス 2009 アルミ合板パネルに画像を出力、アクリル、鉛筆、色鉛筆、ペン、ラメ、クレヨンなど
梅沢和木
UMEZAWA Kazuki 1985- 日本
カオス*ラウンジのコアメンバーでもあり、インターネットおよびキャラクター表象を現代美術に持ち込んだ梅沢の仕事はゼロ年代からテン年代中頃までのアイコンだったと言っても過言ではない。そして、今回は梅沢のもうひとつのルーツである日本の版画史の文脈を組み込んだ新作を発表予定。
ラヴォス 2009 アルミ合板パネルに画像を出力、アクリル、鉛筆、色鉛筆、ペン、ラメ、クレヨンなど
麻田浩

ASADA Hiroshi 1953-1997 日本
初期はアンフォルメルに傾倒していたがヨーロッパ旅行を機に抽象的な作風からシュルレアリスム的手法の具象画へ転向。麻田作品には巧みなトロンプイユ、そして超常現象の描写が散見される。麻田作品は美術史上の分類では還元しきれないSF的想像力にこそ真価が発揮されているのではないか。

蕩児の帰宅(トリプティックのための) 1988 油彩・キャンバス
麻田浩
ASADA Hiroshi 1953-1997 日本
初期はアンフォルメルに傾倒していたがヨーロッパ旅行を機に抽象的な作風からシュルレアリスム的手法の具象画へ転向。麻田作品には巧みなトロンプイユ、そして超常現象の描写が散見される。麻田作品は美術史上の分類では還元しきれないSF的想像力にこそ真価が発揮されているのではないか。
蕩児の帰宅(トリプティックのための) 1988 油彩・キャンバス
金子光晴

KANEKO Mitsuharu 1895-1975 日本
詩人。1923年、27歳で発表した詩集『こがね蟲』において、青く傲慢な青年像を輝かしく謳い上げ、注目を集める。その後時代の抑圧的空気から、無一文に近い状態で、約10年にわたり夫婦でアジアからヨーロッパまでを放浪。国家や大衆の流れを冷徹に分析し、一貫して反権力、反戦の詩を多く残した。

詩:金子光晴 蝕刻画:中林忠良  詩画集『大腐爛頌』 1975
金子光晴
KANEKO Mitsuharu 1895-1975 日本
詩人。1923年、27歳で発表した詩集『こがね蟲』において、青く傲慢な青年像を輝かしく謳い上げ、注目を集める。その後時代の抑圧的空気から、無一文に近い状態で、約10年にわたり夫婦でアジアからヨーロッパまでを放浪。国家や大衆の流れを冷徹に分析し、一貫して反権力、反戦の詩を多く残した。
詩:金子光晴 蝕刻画:中林忠良  詩画集『大腐爛頌』 1975
中林忠良

NAKABAYASHI Tadayoshi 1937- 日本
東京藝術大学在学中、駒井哲郎との出会いをきっかけに銅版画の道へと進む。詩人・金子光晴の言葉「すべて腐らないものはない」に深い感銘を受けて自らの作品哲学とし、制作において銅版の腐蝕のプロセスをつねに重視。白と黒、光と陰、生命と死といった二律背反の拮抗と調和を、銅版画を通して描いた。

詩:金子光晴 蝕刻画:中林忠良  詩画集『大腐爛頌』 1975
中林忠良
NAKABAYASHI Tadayoshi 1937- 日本
東京藝術大学在学中、駒井哲郎との出会いをきっかけに銅版画の道へと進む。詩人・金子光晴の言葉「すべて腐らないものはない」に深い感銘を受けて自らの作品哲学とし、制作において銅版の腐蝕のプロセスをつねに重視。白と黒、光と陰、生命と死といった二律背反の拮抗と調和を、銅版画を通して描いた。
詩:金子光晴 蝕刻画:中林忠良  詩画集『大腐爛頌』 1975
瀧口修造

TAKIGUCHI Shuzo 1903-1979 日本
美術評論家、詩人。日本のシュルレアリスムの理論的支柱として、国内外のアーティストと親交を深めた。1958年にヴェネチア・ビエンナーレの日本代表および審査員を務め、以降造形的な実験を本格化。デカルコマニーの制作など、活動は多岐にわたる。

デカルコマニー No.27 1971 デカルコマニー、水彩絵具
瀧口修造
TAKIGUCHI Shuzo 1903-1979 日本
美術評論家、詩人。日本のシュルレアリスムの理論的支柱として、国内外のアーティストと親交を深めた。1958年にヴェネチア・ビエンナーレの日本代表および審査員を務め、以降造形的な実験を本格化。デカルコマニーの制作など、活動は多岐にわたる。
デカルコマニー No.27 1971 デカルコマニー、水彩絵具
猪熊弦一郎

INOKUMA Genichiro 1902-1993 日本
1938年にフランスに渡り、アンリ・マティスに学ぶ。1955年より約20年間ニューヨークで活動し、作風は具象から抽象へと大きく変化した。絵画表現の追求の一方、芸術はすべての人に開かれているべきだとして、JR上野駅の壁画といったパブリックアート、三越の包装紙デザインなど多彩な活動を展開した。

公園 1968-70頃 シルクスクリーン
猪熊弦一郎
INOKUMA Genichiro 1902-1993 日本
1938年にフランスに渡り、アンリ・マティスに学ぶ。1955年より約20年間ニューヨークで活動し、作風は具象から抽象へと大きく変化した。絵画表現の追求の一方、芸術はすべての人に開かれているべきだとして、JR上野駅の壁画といったパブリックアート、三越の包装紙デザインなど多彩な活動を展開した。
公園 1968-70頃 シルクスクリーン
ハンス・エルニー

Hans ERNI 1909-2015 スイス
ピカソらキュビズムの影響を受け抽象絵画を描きはじめ、具象と抽象が入り混じる有機的な線描を駆使した独自の画風を作り出した。赤十字や国際オリンピック委員会のためのポスターや、スイス万博のために制作された壁画「スイス、万民の休暇地」(1939)でも知られる。

アーティストと犬を抱えたモデル 1969 エッチング
ハンス・エルニー
Hans ERNI 1909-2015 スイス
ピカソらキュビズムの影響を受け抽象絵画を描きはじめ、具象と抽象が入り混じる有機的な線描を駆使した独自の画風を作り出した。赤十字や国際オリンピック委員会のためのポスターや、スイス万博のために制作された壁画「スイス、万民の休暇地」(1939)でも知られる。
アーティストと犬を抱えたモデル 1969 エッチング
堀内正和

HORIUCHI Masakazu 1911-2001 日本
日本の抽象彫刻のパイオニアとして知られる。幼少期から抽象的な彫刻作品に興味をもち、身の回りにある形や触覚的な感覚を意識的に取り入れ、知的でありながらユーモアをただよわせる抽象形態を追求した。サンパウロ・ビエンナーレなどを通して海外にも広く紹介された。

ヘソエネルギー 年代不詳 紙にシルクスクリーン、鉛筆
堀内正和
HORIUCHI Masakazu 1911-2001 日本
日本の抽象彫刻のパイオニアとして知られる。幼少期から抽象的な彫刻作品に興味をもち、身の回りにある形や触覚的な感覚を意識的に取り入れ、知的でありながらユーモアをただよわせる抽象形態を追求した。サンパウロ・ビエンナーレなどを通して海外にも広く紹介された。
ヘソエネルギー 年代不詳 紙にシルクスクリーン、鉛筆
篠田桃紅

SHINODA Toko 1913-2021 日本
ほぼ独学で書を学び、1956年に渡米。抽象絵画が全盛のニューヨークにて、文字にとらわれない新しい墨の造形を試みる。「墨象(墨の抽象画)」と呼ばれる独自の作風で世界的な評価を得る。100歳を超えても墨による抽象作品を描き続けた。

ARRIVED WIND 'C 1975 リソグラフに手彩色
篠田桃紅
SHINODA Toko 1913-2021 日本
ほぼ独学で書を学び、1956年に渡米。抽象絵画が全盛のニューヨークにて、文字にとらわれない新しい墨の造形を試みる。「墨象(墨の抽象画)」と呼ばれる独自の作風で世界的な評価を得る。100歳を超えても墨による抽象作品を描き続けた。
ARRIVED WIND ‘C 1975 リソグラフに手彩色

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