名称:「棟方志功と版画展」廣澤美術館
会期:2024年8月1日(木)〜2024年11月24日(日)
会場:廣澤美術館
開館時間:10:00 〜 17:00
休館日:月曜日
8月12日、9月16日、9月23日、10月14日、11月4日は開館
9月17日、9月24日、10月15日、11月5日は休館
入場料:一般 1500円、大学生・高校生 700円、中学生 500円、小学生以下 無料
住所:〒308-0813 茨城県筑西市大塚599-1 ザ・ヒロサワ・シティ
TEL:0296-21-1234
URL:廣澤美術館
棟方志功は1903(明治36)年9月5日に青森市で鍛冶屋の息子として生まれました。小学生の頃よりねぶたの色彩や、青森・弘前・五所川原でそれぞれ異なる凧絵の表現に夢中になり、やがて独学で絵を描き始めます。
17歳のときに青森地方裁判所の給仕を務めながら、毎日のように合浦公園へ写生に赴き、闇雲に描いていた棟方は、18歳のとき、青森市在住の洋画家である友人・小野忠明から雑誌『白樺』掲載のゴッホの《向日葵》の口絵を見せてもらい激しく感動、油絵の道具一式を譲り受け、油彩画家の道を歩み始めました。のちに画家として名を成す松木満史や鷹山宇一、彫刻家となる古藤正雄など、志を同じくする友人と出会い、洋画グループ「青光画社」を結成。画家を目指して積極的な活動を開始します。戦後に青森県知事となる竹内俊吉をはじめとする、大正の斬新な文学・演劇・美術を享受していた青森の文化人たちとの人脈を広げていった棟方は、東京で帝展に入選し一流の画家となることを決意。 1924(大正13)年9月7日に上京しますが、川上澄生や古川龍生の版画を見たことをきっかけに、油絵の傍ら版画制作を本格的に始めます。 1936(昭和11)年の第11回国画会展に出品した《瓔珞譜・大和し美し版画巻》が陶芸家の濱田庄司の目にとまり、日本民芸館の柳宗悦、河井寛次郎など民芸同人を中心に棟方の後援会が発足するなど、全国的に起動した民芸運動のネットワークが棟方の制作環境に大きな転機をもたらすことになりました。彼らと行動することで、素材や技法、主題や表具にいたるまで、棟方の作品には民芸的な要素が織り込まれていくことになります。その後も数々の傑作を発表して版画家としての地位を確立していきました。
また棟方は1942(昭和17)年に初の随筆集『板散華』において、自らの版画を「板画」と表現することを宣言しました。
1952(昭和27)年にスイス・ルガノで開催された第2回国際版画展に《女人観世音板画巻》を出品し、日本人初の優秀賞を受賞。 1955(昭和30)年の第3回サンパウロ・ビエンナーレで《二菩薩釈迦十大弟子》《湧然する女者達々》などを出品し、版画部門最高賞を受賞。翌年の第28回ヴェネツィア・ビエンナーレでは《二菩薩釈迦十大弟子》《柳緑花紅頌》などを出品し、国際版画大賞を受賞。
日本を代表する版画家として国際的にもその芸術が高く評価されるようになりました。
「世界のムナカタ」として広く知られるようになった晩年の棟方は、国際的な評価に加え、国内でも1970(昭和45)年には文化勲章を受章するなど高い評価を受けました。
情熱の籠った力溢れる棟方志功の芸術をどうぞお楽しみください。
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