開館35周年記念企画展「金子兜太展」山梨県立文学館

開館35周年記念企画展「金子兜太展」山梨県立文学館

名称:開館35周年記念企画展「金子兜太展」山梨県立文学館
会期:2024年9月14日(土)~2024年11月24日(日)
会場:山梨県立文学館
展示室:展示室C
時間:展示室 9:00~17:00(入室は16:30まで)
閲覧室:9:00~19:00(土日祝は18:00まで)
休館日:月曜日 
   ※月曜日が祝日・振替休日の場合は開館し、その翌日が休館
観覧料:一般 600円(480円)
   大学生 400円(320円)
   ※( )内は20名以上の団体料金、前売券、県内宿泊者割引料金
   ※高校生以下の児童・生徒、65歳以上の方は無料(健康保険証等持参)
   ※障害者手帳を持参の方、およびその介護をされる方は無料
   ※前売券は山梨県立文学館受付で9月13日(金)まで販売
   ※11月20日(水)県民の日はどなたでも無料
住所:〒400-0065山梨県甲府市貢川1-5-35
TEL:055-235-8080
URL:山梨県立文学館

金子兜太 96歳 2015年 撮影 樋口一成
金子兜太 96歳 2015年 撮影 樋口一成

金子兜太(かねことうた 1919~2018 埼玉県生まれ)は、前衛俳句、社会性俳句の中心的存在として戦後を代表する俳人です。生まれ育った秩父への思いや、小林一茶への共感などを根底に創作活動を繰り広げました。太平洋戦争中、海軍主計中尉として赴任したトラック島(現チューク諸島)での戦場体験から、反戦への思いを晩年まで持ち続けました。
本展では、その生涯と作品の魅力を紹介し、今日における“俳人兜太”の意義を探っていきます。
◆ 金子兜太(かねことうた)
1919~2018年。埼玉県比企郡小川町生まれ。旧制水戸高等学校在学中の1937(昭和12)年にはじめて句会に参加し、本格的に句作をはじめる。1941年に東京帝国大学経済学部在学中、加藤楸邨(しゅうそん)主宰の「寒雷(かんらい)」に投句し、楸邨に師事する。大学卒業後、日本銀行へ入行、その後、海軍主計中尉としてトラック島に赴任、餓死者が相次ぐなか奇跡的に命拾いをし、終戦後の1946年11月に復員した。1947年、日本銀行へ復職する一方、「寒雷」へ復帰し、沢木欣一(きんいち)の「風」創刊に参加、社会性俳句運動に共鳴する。1960年頃より前衛俳句の旗手として注目を集め、80年代には俳句雑誌「海程」の主宰となり、現代俳句協会会長を務めた。

金子兜太 父 元春宛書簡(部分)1944(昭和19)年11月1日 
この年3月に赴任した戦地のトラック島で書かれたと思われる。2枚目には戦地での作6句が記されている。元春(1889~1977)は開業医で俳人、俳号・伊昔紅(いせきこう)。
金子兜太 父 元春宛書簡(部分)1944(昭和19)年11月1日  この年3月に赴任した戦地のトラック島で書かれたと思われる。2枚目には戦地での作6句が記されている。元春(1889~1977)は開業医で俳人、俳号・伊昔紅(いせきこう)。
金子兜太「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」色紙 
『金子兜太句集』(1961年 風発行所)所収、日本銀行長崎支店に勤務しているときの作。
金子兜太「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」色紙  『金子兜太句集』(1961年 風発行所)所収、日本銀行長崎支店に勤務しているときの作。
金子兜太 筆 「秩父俳句道場」の会場に掲げた看板
「秩父俳句道場」は、兜太を中心とする「海程」同人たちの鍛錬句会。1979年から2017年まで続いた。
金子兜太 筆 「秩父俳句道場」の会場に掲げた看板 「秩父俳句道場」は、兜太を中心とする「海程」同人たちの鍛錬句会。1979年から2017年まで続いた。
金子兜太「春落日しかし日暮れを急がない」色紙
『両神』(1995年 立風書房)所収
金子兜太「春落日しかし日暮れを急がない」色紙 『両神』(1995年 立風書房)所収
金子兜太 遺作となった9句の句稿
「海程」第541号(2018年4月)掲載
金子兜太 遺作となった9句の句稿 「海程」第541号(2018年4月)掲載

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