「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館

「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館

名称:「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館
会期:2024年10月5日(土)〜2025年1月13日(月)
会場:鎌倉市川喜多映画記念館
開館時間:9:00 〜 17:00
休館日:月曜日
   10月14日・11月4日・1月13日は開館
   10月15日・11月5日・12月29日~2025年1月3日は休館
入場料:一般 400円、中学生・小学生 200円
住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下 2丁目2番12号
TEL:0467-23-2500
URL:鎌倉市川喜多映画記念館

「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館
「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館

女優の仕事は好きになれなかった——
高峰秀子は終生そう言い続けました。5歳で偶然子役に抜擢されると、サイレントからトーキーへの変革期に数多くの映画に出演、戦時期には少女スターとして大衆に愛されました。プロフェッショナルに徹した仕事ぶりで俳優としての信頼を高める一方、華やかなキャリアの裏では、養母との確執や十数人の親族の生活を担うなど、苛酷な運命を背負わされてきました。そんな高峰にやがて転機が訪れます。『カルメン故郷に帰る』(木下惠介、1951年)を機にフリーになると、あらゆるしがらみから逃れたパリでの生活で“自分”を取り戻し、1955年に木下の助監督だった松山善三と結婚。スター女優と助監督といういわゆる“格差婚” でしたが、松山の妻となることで高峰はようやく、自らの人生を歩き始めることができたのです。引退作と考えていた『浮雲』(成瀬巳喜男、1955年)後は、木下・成瀬を中心に出演作を絞り、シナリオ・ 監督業に進出した松山を公私に支えながら、妻として女優として充実した日々を送りました。本展では生誕100年を迎えるこの機会に、日本映画史に燦然と輝く足跡とともに、高峰が手に入れた妻としての幸福を展示・上映・イベントによって振り返ります。波乱に満ちた半生と一転した穏やかな結婚生活を通して、高峰秀子という生き方を味わってみてください。

「<女優>から<妻>へ —生誕100年 高峰秀子という生き方」鎌倉市川喜多映画記念館
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