「富永親徳という近代洋画家がいた―記録と場所をたどる―」小金井市立はけの森美術館

「富永親徳という近代洋画家がいた―記録と場所をたどる―」小金井市立はけの森美術館

名称:「富永親徳という近代洋画家がいた―記録と場所をたどる―」小金井市立はけの森美術館
会期:2024年11月2日(土)~2025年1月13日(月祝)
会場:小金井市立はけの森美術館
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(ただし11月4日、1月13日は開館)、11月5日(火)※振替休館、年末年始(12月28日~1月6日)
観覧料:一般400円
   ※障がい者手帳をお持ちの方とその付き添い1名まで、および、高校生以下は無料(高校生・中学生は学生証・生徒手帳をご提示ください)
主催:小金井市立はけの森美術館
本展に関連する研究助成:公益財団法人ポーラ美術振興財団
住所:〒184-0012東京都小金井市中町1-11-3
TEL : 042-384-9800
URL:小金井市立はけの森美術館

今では、洋画家・富永親徳の名を知る人はほとんどいないだろう。しかしかつて、近代という時代の中に彼はいたのだ。そして、洋画家であろうとした。
本展は富永親徳(1896~1964)初の回顧展となる。はけの森美術館では、富永親徳に関する調査を2022年度より行ってきた。富永は1896(明治29)年熊本に生まれ、10歳ごろ家族で台湾に渡ったと思われる。当時台湾は日本統治下にあり、台湾総督府が置かれていた。この総督府に赴任した石川欽一郎との出会いが、富永の人生を決定づけた。洋画家でもある石川は、台湾の美術教育の礎となった人物であった。
その後富永は23歳で東京美術学校西洋画科に合格し、妻子とともに東京にやって来た。卒業後は美術教師をしながら、制作を続けた。1944(昭和19)年、戦争によって住まいを小金井に移してもなお、絵を描いていた。ここが終の棲家となり、1964(昭和39)年に生涯を閉じた。
富永は「画壇の大家」には、なりえなかった(それどころか、実は1930年代後半に公募展への応募をやめてしまっている)。その生涯は刺激的なサクセスストーリーではない。しかし、描くことを社会的成功の手段とせずにそれでも絵を描き続けることができたのなら、それは一つの幸福な結末だったかもしれない。富永親徳が「近代という時代」を居場所として、描くことを人生としたなら、彼はやはり近代洋画家だったのだ。
――彼が生きた近代とは、どんな場所なのか。作品を通して知ってもらいたい。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 「手塚雄二展 雲は龍に従う 」そごう美術館
  2. 企画展「猫を愛でたい」茨城県天心記念五浦美術館
  3. 全国公募 第9回トリエンナーレ豊橋「星野眞吾賞展ー明日の日本画を求めてー」豊橋市美術博物館
ページ上部へ戻る