企画展「岡本太郎と太陽の塔―万国博に賭けたもの」川崎市岡本太郎美術館

岡本太郎《太陽の塔》1970年

名称:企画展「岡本太郎と太陽の塔―万国博に賭けたもの」川崎市岡本太郎美術館
会期:2025年4月26日(土)~2025年7月6日(日)
   ※会期中展示替えがあります
前期:4月26日(土)~6月1日(日)
後期:6月3日(火)~7月6日(日)
会場:川崎市岡本太郎美術館
時間:9:30~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:月曜日、5月7日(水)、5月8日(木)
   ※4月28日、5月5日を除く
観覧料:一般 900円(720円)
   高・大学生・65歳以上 700円(560円)
   中学生以下 無料
   ※( )内は20名以上の団体料金
住所:〒214-0032神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
TEL:044-900-9898
URL:川崎市岡本太郎美術館

岡本太郎《太陽の塔》1970年
岡本太郎《太陽の塔》1970年

「近代主義に挑む。何千年何万年前のもの、人間の原点に帰るもの。人の眼や基準を気にしないで、あの太陽の塔を作ったんだ。」*
1970年、大阪にて、「人類の進歩と調和」をテーマとする日本万国博覧会が開催されました。岡本太郎が会場中心に据えた「太陽の塔」は、建設当時、モダニズムと相容れない独特の外観で賛否を巻き起こしました。また、内側の構成も「人類の進歩と調和」に異議を唱える岡本の思想が大いに反映されたものでした。
塔の地下空間は「過去・根源の世界」を表現するためにいくつかのゾーンに分かれていました。その1つ、「いのり」の空間では、人類の心の奥深くに通底するものとして、世界各地から収集された仮面や神像などの民族資料が展示されました。原初的で神聖な祭壇を想起させるこの展示プランも、岡本太郎の発案です。彼はパリで暮らした20代にパリ大学で民族学を学び、人類博物館の空間でマルセル・モースの教えを受けました。また帰国後も、日本各地の祭礼・神事の取材と執筆活動によって思索を続けました。
本展は、民族学を源泉とし、国内の取材旅行を通して形成された岡本の思想から「太陽の塔」を探るいわば「入門編」の展覧会です。彼が縄文の発見後、フィールドワークで撮影した写真を紹介するほか、「太陽の塔」の制作記録や同時期の作品を通して塔の内外が形作られた過程をたどります。また、国内外の仮面や神像等を展示し、岡本のいう「今日の文明が失ってしまった人間の原点」*に迫ります。
岡本は、ただの「お祭り」と、人間の誇りと生きる歓びを爆発させる神聖な「祭り」を区別し、万国博は後者であるべきと考えました。「太陽の塔」を万国博の中心に据えることで「祭り」の実現に賭けた岡本の挑戦と、そこに至るまでの道程をご覧ください。
*岡本太郎『にらめっこ問答』集英社、1980年

岡本太郎《千手》1965年
岡本太郎《千手》1965年
岡本太郎《マスク》1959年
岡本太郎《マスク》1959年
岡本太郎《明日の神話》1968年
岡本太郎《明日の神話》1968年
岡本太郎《樹霊Ⅰ》1970年
岡本太郎《樹霊Ⅰ》1970年
岡本太郎《ノン》1970年
岡本太郎《ノン》1970年
岡本太郎《マスク》1970年
岡本太郎《マスク》1970年
岡本太郎《万博の鍵》1970年
岡本太郎《万博の鍵》1970年
岡本太郎撮影《土偶(神奈川県横浜市出土)》1956年
岡本太郎撮影《土偶(神奈川県横浜市出土)》1956年
岡本太郎撮影《なまはげ 男鹿市芦沢》1957年
岡本太郎撮影《なまはげ 男鹿市芦沢》1957年
岡本太郎撮影《斎場御嶽》1959年
岡本太郎撮影《斎場御嶽》1959年
岡本太郎撮影《コアトリクエ(メキシコ国立人類学博物館)》1967年
岡本太郎撮影《コアトリクエ(メキシコ国立人類学博物館)》1967年
岡本太郎《反世界》1964年
岡本太郎《反世界》1964年
岡本太郎と「太陽の塔」原型、1969年
岡本太郎と「太陽の塔」原型、1969年
岡本太郎《太陽の塔》1970年
岡本太郎《太陽の塔》1970年

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