「池田蕉園と輝方 ─夢見る美人画」山口県立萩美術館・浦上記念館

「池田蕉園と輝方 ─夢見る美人画」山口県立萩美術館・浦上記念館

名称:「池田蕉園と輝方 ─夢見る美人画」山口県立萩美術館・浦上記念館
会期:2025年4月19日(土)〜2025年6月1日(日)
会場:山口県立萩美術館・浦上記念館
開館時間:9:00 〜 17:00
   ※入場は16:30まで
休館日:4月21日、5月12日・19日・26日は休館
   4月28日は開館
入場料:一般 1500円、大学生・70歳以上 1300円、18歳以下・高校生以下 無料
住所:〒758-0074山口県萩市平安古町586-1
TEL:0838-24-2400
URL:山口県立萩美術館・浦上記念館

輝方「涼宵」六曲一双(右隻) 大正6年(1917)林原美術館
輝方「涼宵」六曲一双(右隻) 大正6年(1917)林原美術館

池田(旧姓榊原)蕉園(1886~1917)は、明治時代末期から大正時代初期に、夢みるように甘美で、はかなげな女性の姿を描いて一世を風靡しました。
蕉園は15歳のときに浮世絵の流れをくむ水野年方(1866~1908)に入門し、同門の池田輝方(1883~1921)といつしか相愛の仲となります。年方が取り持ち婚約しますが、輝方は忽然と姿を消し、その間の煩悶を創作へと昇華させた蕉園は、一気に才能を開花させました。そして約7年の別離を経て結ばれた2人は、文展(文部省美術展覧会)で共に受賞を重ねるなど、おしどり画家として華々しい活躍をみせました。浮世絵に多くを学びながら、近代的な写実性と若々しい感受性によって描かれた2人の女性像は、竹久夢二(1884~1934)にも影響を与えるなど、近代美人画の形成に大きく寄与したと言うことができるでしょう。特に蕉園は、上村松園(1875~1949)とともに美人画家の双璧として「西の松園、東の蕉園」といわれ、また大阪の島成園(1892~1970)を加え「三都三園」と並び称されるほどでした。在世中は大変な人気でしたが、蕉園31歳、輝方38歳で早逝したため、忘れられた存在となってしまいます。
本展覧会は、蕉園と輝方の画業を本格的に紹介する初めての企画です。直筆の肉筆画をはじめ、江戸懐古趣味を映し出す木版画、泉鏡花ら文芸界との親しい交わりから生まれた小説の木版口絵や婦人雑誌の挿絵にいたるまで、代表的な作品を一堂にご紹介します。
また近年、再発見された明治44年(1911)第5回文展の出品作『髪』(東京国立博物館所蔵、5月13日~6月1日展示)、大正4年(1915)第9回文展の出品作『かえり路』(東京国立近代美術館所蔵、全期)、大正5年(1916)第10回文展の出品作『こぞのけふ』(久光製薬株式会社所蔵、全期)を揃ってご覧いただくことができる貴重な機会となっております。 浮世絵をはじめ近代絵画の伝統に学びつつ、大きく花開いた近代美人画の魅力をお楽しみください。

蕉園「やへがすみ かへりみち」多色摺木版画 明治38年~40年(1905~1907)頃 江戸東京博物館
蕉園「やへがすみ かへりみち」多色摺木版画 明治38年~40年(1905~1907)頃 江戸東京博物館
輝方「江戸の錦 紅葉狩」多色摺木版画 明治36年(1903)平木浮世絵財団
輝方「江戸の錦 紅葉狩」多色摺木版画 明治36年(1903)平木浮世絵財団
蕉園「かえり路」四曲一隻 大正4年(1915)東京国立近代美術館
蕉園「かえり路」四曲一隻 大正4年(1915)東京国立近代美術館
蕉園「秋苑」絹本着色 明治37年(1904)福富太郎コレクション資料室
蕉園「秋苑」絹本着色 明治37年(1904)福富太郎コレクション資料室
輝方「お七」絹本着色 大正元年(1912)諏訪山吉祥寺
輝方「お七」絹本着色 大正元年(1912)諏訪山吉祥寺

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