「遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男」目黒区美術館

「遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男」目黒区美術館

名称:「遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男」目黒区美術館
会期:2025年4月19日(土)~2025年6月8日(日)
会場:目黒区美術館
時間:10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)
休館日:月曜日、5月7日(水)
   ※ただし、5月5日(月・祝)は開館、
観覧料:一般 900円(700円)
   大高生・65歳以上 700円(550円)
   中学生以下 無料
   ※( )内は20名以上の団体料金
   ※障がいのある方とその付添者1名は無料
   ※他の割引との併用はできません
   ※入館のための日時指定予約は必要ありません。
住所:〒153-0063東京都目黒区目黒2-4-36
TEL:03-3714-1201
URL:目黒区美術館

「遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男」目黒区美術館
「遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男」目黒区美術館

目黒区美術館では、戦前に欧米に留学した画家の作品を収集し、展覧会等を通じて紹介してきました。この度は、イタリアに留学した二人の画家、川村清雄(かわむらきよお 1852-1934)と寺崎武男(てらさきたけお 1883-1967)を取り上げます。
川村は、交流のあった勝海舟の斡旋で、明治維新直後に徳川家留学生としてまずは米国留学します。同地の下宿先では、新紙幣で話題の津田梅子とも出会っています。その後、フランス経由でイタリアに渡り、ヴェネツィアの美術学校に学びます。同校ではコンクールで人賞するなど、優秀な成績を修めました。帰国後は、作品の設置される当時の日本の建築空間や環境を考慮し、屏風や漆器、板、帯などに油彩で描く作品を残し、日本における油彩画の在り方を模索しました。
もう一方の寺崎は、東京美術学校に学んだ後、川村より遅れてヴェネツィアに渡り、同地の美術学校で学びます。テンペラやフレスコ、銅版画など、当時の日本ではあまり知られていなかった技法の習得に勤しみ、帰国後はその普及に努めます。また、ヴァチカンで見た天正遣欧使節団の壁画に感銘を受け、壁画の研究をとおし、目黒区のカトリック碑文谷教会(通称 サレジオ教会)の壁画、聖徳記念絵画館での制作などに、その成果が現れました。
中央画壇と距離を置いて活動したことや、作品があまり現存していないなどの事情から、現在では川村と寺崎の名はあまり知られていないかもしれません。しかし二人は共に、文化の異なる遥かなるイタリアに学び、帰国後にその成果を日本の絵画にどのように反映させるか苦悩しながらも、東西の文化を深く研究し、新しい時代にふさわしい日本の洋画の創造に挑みました。本展では、二人の制作を展覧し紹介します。

寺崎武男《天正遣欧使節 ヴァチカンへの行列》1917年頃、紙本着彩(テンペラ)、六曲一双屏風、千葉市美術館寄託(星野画廊)
寺崎武男《天正遣欧使節 ヴァチカンへの行列》1917年頃、紙本着彩(テンペラ)、六曲一双屏風、千葉市美術館寄託(星野画廊)
川村清雄《ベネチア風景》1920-34年頃、油彩、水性絵具・板、目黒区美術館
川村清雄《ベネチア風景》1920-34年頃、油彩、水性絵具・板、目黒区美術館
寺崎武男《ヴェロネーゼ「レヴィ家の饗宴」模写》制作年不詳、油彩・キャンバス、目黒区美術館
寺崎武男《ヴェロネーゼ「レヴィ家の饗宴」模写》制作年不詳、油彩・キャンバス、目黒区美術館
川村清雄《村上彦四郎(村上義光 錦御旗奪還図)》1920-34年頃、油彩、金箔・絹、二曲一隻屏風、目黒区美術館
川村清雄《村上彦四郎(村上義光 錦御旗奪還図)》1920-34年頃、油彩、金箔・絹、二曲一隻屏風、目黒区美術館
川村清雄《幼児石膏習作》1873-81年頃、コンテ・紙、目黒区美術館
川村清雄《幼児石膏習作》1873-81年頃、コンテ・紙、目黒区美術館
寺崎武男《赤い家 イタリア》制作年不詳、着彩(テンペラ)・紙、目黒区美術館
寺崎武男《赤い家 イタリア》制作年不詳、着彩(テンペラ)・紙、目黒区美術館
寺崎武男《黄帆船図》1920年代、着彩(パステル)・絹本、目黒区美術館
寺崎武男《黄帆船図》1920年代、着彩(パステル)・絹本、目黒区美術館

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 富田菜摘 「ものものいきもの」織田廣喜美術館
  2. 春季展「春を言祝ぐ美術工芸」金沢市立安江金箔工芸館
  3. 「ふぞろいの版画たち―西洋版画のシリーズとステート―」町田市立国際版画美術館