
名称:「戦後日本画壇の風雲児 日本画家 横山操展」佐川美術館
会期:2025年5月15日(木)~2025年7月6日(日)
会場:佐川美術館
展示室:横山操展,横山操
時間:9:30~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:月曜日
※月曜日が祝日に当たる場合はその翌日
※年末年始
※展示替え等のため臨時休館する場合があります
※その他年間予定休館日は、イベントカレンダー(ページ左下)をご確認ください
観覧料:事前予約制
一般 1,300円
高大生 900円
中学生以下無料 ※要保護者同伴
※専門学校・専修学校は大学に準じる
※障がい者手帳をお持ちの方(要手帳提示)、付添(1名のみ無料)
住所:〒524-0102滋賀県守山市水保町北川2891
TEL:077-585-7800
URL:佐川美術館

横山操(1920-1973)は、日本画の転換期である戦後に活躍した画家で、従来の理想を求めた日本画とは全く異なる大自然の脅威や現代構造物などを題材とし、その独創性で日本画の新生面を拓いたことから「風雲児」と称されます。本展は、戦後日本画壇において極めて個性的存在を示した画家の短くも濃密な画業を追うものです。
新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に生まれた横山は、洋画家を目指して14歳で上京します。デザイン会社で働く傍ら、日本画に転向して川端画学校夜間部で研鑽を積み、川端龍子主宰の青龍展に初出品初入選を果たします。しかし1940年に召集され中国各地を転戦したのちはシベリアに抑留され、復員したのは1950年でした。その後は青龍社を活動の中心とし、戦争で失った空白の10年間を取り戻すかのように次々と作品を発表します。自らの生きる「今」を大画面に力強くダイナミックに描いた作品は、当時の日本画界に衝撃を与え、世間にも名を馳せるようになります。
1962年に青龍社を脱退後は活躍の場を個展やグループ展に移し、意欲的に創作活動を続けました。この頃から日本画に受け継がれてきた伝統的な精神性や世界観を独自に解釈し、装飾性に重きを置きつつ作品に昇華するようになります。その中で故郷・新潟の風景を叙情的に表現した作品や、伝統と現代性の関わりの追求として水墨表現を試みた作品を手掛けるなど画風に新たな展開をみせます。1966年からは多摩美術大学の教授に就任し、後進の指導にも情熱を注ぐようになりますが、1971年に脳卒中で倒れ右半身不随となり、利き腕が使えなくなってしまいます。絵筆を左手に持ち替え創作活動を再開する中、1973年に再び脳卒中に倒れ帰らぬ人となりました。
横山の画業はわずか20年でしたが、その生涯は密度の濃い充実したもので、一心に筆を進める日々の中で完成させた作品は1200点以上に及びます。本展では数多くの作品の中から、美術展への出品作、無所属で活躍していた時代の作品など、代表作を含めた約60点を展観します。また、これまで公開される機会が少なかった丹念かつ精緻に描かれた作品によって画家の知られざる一面も明らかにしながら、横山の日本画と制作に対する強い情熱に迫ります。


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