終戦80周年記念特別企画「藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで-戦場、銃後の風景、日常を描く-」軽井沢安東美術館

  • 2025/9/14
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終戦80周年記念特別企画「藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで-戦場、銃後の風景、日常を描く-」軽井沢安東美術館

名称:終戦80周年記念特別企画「藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで-戦場、銃後の風景、日常を描く-」軽井沢安東美術館
会期:2025年7月17日(木)~2025年9月28日(日)
会場:軽井沢安東美術館
時間:10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:水曜日(祝日の場合は翌平日)
   ※尚、7月23日、30日の水曜日、8月中の水曜日は開館
観覧料:一般 2,300円
   高校生以下 1,100円
   未就学児 無料
   ※オンラインチケット購入の場合、100円引きとなります
   ※その他、各種割引あります
住所:〒389-0104長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10
TEL:0267-42-1230
URL:軽井沢安東美術館

終戦80周年記念特別企画「藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで-戦場、銃後の風景、日常を描く-」軽井沢安東美術館
終戦80周年記念特別企画「藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで-戦場、銃後の風景、日常を描く-」軽井沢安東美術館

第二次世界大戦下においては、画家が戦地に赴いて取材をする傍ら、戦場や兵士の様子、現地の風景、そして銃後の生活などを描いた戦争記録画(以下、戦争画と表記)が数多く制作されました。制作したのは、戦意高揚と軍の宣伝を目的に指名を受けた一流の画家たちでした。彼らは従軍画家と呼ばれ、1938年、藤田もこのメンバーに加わりました。しかし、戦後、彼らを待っていたのは、画家仲間からの厳しい批判でした。
1945年10月14日、医師で洋画家でもあった宮田重雄が「美術家の節操」と題した文章を朝日新聞に投稿、藤田はじめ、戦争画を描いた画家たちを「ファシズムに便乗し通した人」と呼び、「作家的良心あらば」「謹慎すべき時」であると主張したのです。翌年には、日本美術の民主的な発展と新たな価値の創造を掲げて発足した日本美術会が「自粛を求める」美術家として、藤田嗣治、中村研一、鶴田吾郎、横山大観など、8名の画家を名指しするという出来事が起こりました。同じ頃、藤田の友人で、当時、日本美術会の書記長だった内田巌は藤田のもとを訪れ、美術会での活動自粛を求める通知を言い渡したといいます。
一方、藤田の主張は次のようなものでした―画家とは真の自由愛好家で、軍国主義者であろうはずがない、「戦争発起人でも」「捕虜を虐待した訳でもなく」、国民の義務を果たしただけと考えているが、本当に戦犯として裁かれるのであれば、せめて紙と鉛筆だけを与えてほしい―。こうした言葉には、国民の義務として従軍しつつも、画家として戦争画と向き合った藤田の姿がうかがえます。事実、藤田が残した数々の言葉からは、当時、従軍画家としての使命を担った中で、芸術表現を研磨しようとした意気込みが感じられます。
本展では、終戦80周年を記念した特別企画として、藤田が描いた戦争画をはじめ、戦時下における彼のさまざまな画業を紹介します。当時、従軍画家として第一線で活動を続けた藤田は、何を描こうとしたのか。藤田の言葉も手がかりとしながら、戦時下で制作された数々の作品を丁寧に読み解きます。

《聖母子》1959年 インク・墨(淡彩)、金箔、油彩・キャンバス ランス大聖堂蔵 ランス美術館寄託
© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 B0936
《聖母子》1959年 インク・墨(淡彩)、金箔、油彩・キャンバス ランス大聖堂蔵 ランス美術館寄託 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 B0936
「夜なべ仕事」 撮影:土門拳 1941年 土門拳写真美術館蔵
「夜なべ仕事」 撮影:土門拳 1941年 土門拳写真美術館蔵
展示室2 撮影:Takahiro Maruo
展示室2 撮影:Takahiro Maruo
展示室5
展示室5

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