名称:「大阪大学中之島芸術センター企画展:天然表現『投錨するアート』」大阪大学中之島センター
会期:2024年7月2日(火)〜2024年8月4日(日)
会場:大阪大学中之島センター
開館時間:10:30 〜 17:00
休館日:月曜日、祝日
入場料:無料
住所:〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-3-53
URL:大阪大学中之島センター
芸術は昨今、様々な表現が「アート」の語で語られている。アイドルが自身を「アーティスト」と表明したり、社会や政治などの様々な問題意識を「伝えるため」「解決するため」の表現が「アート」と呼ばれ、「〇〇アート」など様々な派生語も生まれたりしている。現在、「アート」は不鮮明であり、なんでも「アート」にされてしまう。「アート」として認識されているほとんどの「アート」とは、エンターテインメント、プロパガンダ、そしてデザインだろう。
恐れずに言えば、これらは芸術ではない。これらは、人が為す〈人為=artificiality〉という意味では「アート」かもしれないが、これらは芸術(art)ではない。言うならば、これらは、問題意識や目的を達成する「ため」の表現であり、その表現は過剰であり、その「ため」に創作されたものは過剰なものとなる。そこに、本来、生きている人間の営為〈artificiality〉が囲われ、評価されることは、ともすれば人間が人工知能〈Artificial Intelligence〉の様式に追随することになる。
芸術は過剰さを脱色する技術である。芸術は異質なものの閉じた過剰性を脱色し外部へ開くこと、ものを、アートと規定する。これを、天然知能〈Natural Born Intelligence〉による天然表現〈Natural Born Expression〉であると捉えてみる。天然知能・天然表現は郡司ぺギオ幸夫の提唱する創造概念であり、必ずしも人工知能の対義語をとるものではない。天然表現において、意図や目的を宙吊りにし、脱色することが芸術である。芸術か、芸術でないかは一目瞭然だ。しかしながらその違いは、多くの芸術に携わる者や「アーティスト」を自称する者でさえ、混同している。
本展では、芸術を志向し、芸術を照射する芸術家を迎え、未来に向け、芸術が復興する種を蒔く。既知の情報をいくら増大したところで、見通すことなどできない大海の未知へ落とす、一擲の錨となる。このとき、芸術は、まるで香りのように浮かぶ島として──島も無いのに島の匂いのする日に⁄H. メルヴィル『白鯨』より──、その姿をうつすだろう。
[関連イベント]
展覧会記念トークイベント「投錨するアート」
登壇者: 郡司ペギオ幸夫(天然知能研究・天然表現)×松本直樹(現代美術)×中村恭子(日本画)
日時: 7月7日(日) 14:30~16:00
参加費: 無料・事前予約不要
会場: 中之島芸術センター3階スタジオ
※イベント詳細は公式ホームページよりご確認ください。
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