夏季企画展「柏原の古刹 光徳寺の歴史と至宝 -雁多尾畑、そして大阪-」柏原市立歴史資料館
- 2025/6/28
- 大阪府
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名称:夏季企画展「柏原の古刹 光徳寺の歴史と至宝 -雁多尾畑、そして大阪-」柏原市立歴史資料館
会期:2025年6月28日(土)~8月24日(日)
会場:柏原市立歴史資料館
開館時間:9:30~17:00
住所:〒582-0015大阪府柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
TEL:072-976-3430
URL:柏原市立歴史資料館

生駒山系の山やまが連なる本市東部、奈良県と接する標高 200~250mの場所に雁多尾畑(かりんどおばた)という古い集落があり、ここに、河内有数の真宗の古刹 照曜山光徳寺(こうとくじ)が現在まで法灯を伝えています。
聖徳太子以来の仏教文化が息づく大和川沿いの龍田古道に近く、また、葛城修験の修験者らが行き交った当地に、平安時代中期、円融法皇の勅願寺として開かれたといい、その後、信貴山の毘沙門天の霊夢を得て信乗(俊円)が再興を果たしたことが縁起にみえます。
中世以来、光徳寺は真宗教学の拠点として聖教類(経典や高僧の言葉をまとめたもの)が書写・集積され、8代 乗順のとき、本願寺の蓮如が大坂に御坊を構えると、当地に支坊を得て、やがて本願寺教団を支える重要な存在となりました。
本願寺の自治で運営される大坂寺内は、門徒らの旺盛な経済活動によって繁栄しました。
「石山合戦」での奮戦空しく、大坂の地は織田信長に明け渡すことになりますが、門徒は残留を許され、天下人 豊臣秀吉の大坂城下町で活躍を続けます。
光徳寺も、雁多尾畑のほか、大坂の坊舎も船場エリアに移転して存続し、近世において、大坂における東本願寺 末の最有力寺院としての寺格を確立させました。
そして、現在に至るまで、雁多尾畑、大阪などの門徒の皆さんとともに、長い歴史を歩んできたのです。
本企画展では、開基 信乗 七百五十回遠忌の節目の年にあたって、光徳寺に伝わる中世以降の貴重な文化財を展観し、その豊かな寺史はもとより、本市、そして都市 大阪の礎を築いた人びとにせまりたいと思います。








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