「戦後80年 捕虜になった記者・小柳胖」にいがた文化の記憶館
- 2025/9/1
- 新潟県
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名称:「戦後80年 捕虜になった記者・小柳胖」にいがた文化の記憶館
会期:2025年7月29日(火)〜11月3日(月)
会場:にいがた文化の記憶館
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
料金:一般 500円(400円)
学生〔高校生以上〕300円(240円)
中学生以下無料
※( )は団体20名以上
休館日:月曜日(ただし8月11日、9月15日、11月3日は開館)、8月12日(火)、9月16日(火)、10月14日(火)
主催:にいがた文化の記憶館、新潟県、新潟日報社
共催:新潟日報美術振興財団、BSN新潟放送、NST新潟総合テレビ
協力企業:田村紙商事株式会社
展示協力:新潟日報社、日本新聞博物館、BSN新潟放送
住所:〒950-0088 新潟県新潟市中央区万代3-1-1 新潟日報メディアシップ5階
TEL:025-250-7171
URL:にいがた文化の記憶館

新潟日報社の第四代社長・小柳胖(おやなぎ・ゆたか、1911~86年、新潟市生まれ)は太平洋戦争を機に数奇な人生を送った新聞人です。
戦時中、小柳は編集局長として戦争推進に協力する新聞を制作していましたが、昭和19年2月に召集され戦地へ赴きました。太平洋戦争末期に硫黄島で米軍の捕虜となりハワイの捕虜収容所に移されました。そこで小柳は、所長オーテス・ケーリの下で捕虜仲間の記者等とともに対日宣伝ビラを作ることになりました。その目的は戦争の早期終結でした。
終戦の翌年に復員した小柳は新潟日報に戻ると、捕虜体験を語ることなく、経営者として自社や業界の発展に尽力しました。地域振興にも貢献し、晩年は會津八一記念館の設立運動の中心となり、初代館長を務めました。
戦後80年の今夏、“捕虜になった記者”小柳胖の旧蔵資料から、戦争とメディアについて考えてみたいと思います。








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