開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館

  • 2025/9/10
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開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館

名称:開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館
会期:2025年10月11日(土)~12月7日(日)
会場:下関市立考古博物館
開館時間:9:30~17:00(最終入館16:30)
休館日:毎週月曜日
観覧料:無料
主催:下関市立考古博物館
特別協力:国立文化財機構文化財活用センター
     東京国立博物館
住所:〒751-0866山口県下関市大字綾羅木字岡454番地
TEL:083-254-3061   
URL:下関市立考古博物館

開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館
開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館

古墳時代、ヤマト王権による国家形成が進むなか、山口県域には周防地方に「天酒」,「波久成」,「周芳」「都意」の国造と「沙婆」の第生、長門地方に「六円」,「向武」の国造が配置されていたことが「国造本紀」(「先代旧事本 こくぞうほんぎ紀』1巻)等の史料から知られています。これらは、6世紀に前方後円墳が出現する地域とよく対応しており、「国造本紀」の記録が6世紀から7世紀頃の政治状況を反映しているともいわれてます。翻って下要市域の古墳時代を俯瞰すると、4世紀から6世紀にかけて若官1号填、仁馬山古墳、大門古墳、宮山古墳の4基の前方後円墳が築造され、7世紀には、90基を超える県下有数の終末期群集墳である甲山古墳群が展開するなど、長門地方において下関市域は一貫して政治的主導権をもった地域として察知でき、穴門国造の領域として有力視されます。

開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館
開館30周年記念特別展「上の山古墳と穴門の趨勢-本州最西端の後期古墳と集落-」下関市立考古博物館

「穴門」なる地名も、狭隘な早柄瀬戸(関門海峡)に由来するとみられることや、史料にも再三登場する穴門における「豊浦」の地名も、外海に面し港律として響瀾沿岸域が優れた環境を有することに由来するとみれば、当地が穴門国造の領域として想定することは無理のない歴史的評価でしょう。とりわけ、その中枢域は、古墳時代後期の前方後円墳が分布する市城南部とみてよいでしょう。

このことを踏まえて、本展ではその優れた副葬品から古くから注目され、本市を代表する6世紀前半頃の前方後円墳との説もある「上の山古墳」の出現に注目します。この時期のヤマト王権は、雄略朝から継体期へと王権の転換がはかられた直後で、上の山古墳の出現はヤマト王権と地方有力首長との間に新たな政治的関係が取り結ばれた証左としてその後の国造制進展の項矢となったとみることもできます。

そこで、本展では、穴門中枢域における古墳時代後期の有力古墳や集落出土資料によって、穴門における在地勢力の機勢を見極めることで、その後に穴門から転じて長門となり国府設置にまで至った地域的特性に迫ります。

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