名称:「没後40年 映画監督 五所平之助」国立映画アーカイブ
会期:2021年10月19日(火)-11月23日(火・祝)
会場:長瀬記念ホール OZU(2階)
定員:310名(各回入替制・全席指定席)※10/1(金)更新
住所:〒104-0031東京都中央区京橋3-7-6
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
URL:国立映画アーカイブ
隣家から聞こえてくる音楽に悩まされる劇作家や幼いわが子の養育を重荷に感じる父親、相思相愛なのにすれ違いを繰り返す若い男女、過去の夫の出現に動揺する妻、戦地から帰還した父親に戸惑う子ども。映画監督・五所平之助(1902-1981)は、恋愛や家庭生活で悩み、共同体と摩擦を起こすこのような人物たちを、好んで取り上げました。そして、彼らが生み出す感情のざわめきを見つめ、哀しみやユーモアを描き続けました。
五所のキャリアは、松竹蒲田撮影所に助監督として入社した1923年に始まります(前年に清水宏、同年に小津安二郎も入社)。島津保次郎に師事した後、『南島の春』(1925)で監督デビュー、さらに『からくり娘』(1927)や『村の花嫁』(1928)などで現代劇の新鋭監督として同世代の中でいち早く頭角を現し、当時の撮影所長・城戸四郎の指揮のもと、島津や牛原虚彦監督らと並んで“蒲田調”を確立します。1931年には日本映画最初の本格的トーキー『マダムと女房』を成功させました。1934年には、若い映画人たちと「スタヂオF」を立ち上げ、交流の場としました。1941年に松竹を退社し、翌42年に大映に移籍して2作品を監督したのち、再び松竹に戻って『伊豆の娘たち』(1945)を撮影し、敗戦を迎えます。戦後は東宝で2作品を監督しますが、そのさなかに東宝争議が勃発し、五所は従業員組合側に付いて闘争に参加しますが、1950年、東宝から契約を解除されます。翌51年、仲間たちとともに「スタヂオ・エイト・プロ」を結成、新東宝と提携して独立プロダクションによる映画製作を行いました。その後も五所は歌舞伎座プロダクションや松竹で映画を撮り続け、最後の劇場公開作品となった『女と味噌汁』(1968)の後も、明治100周年を記念した『糸あやつり 人形劇映画 明治はるあき』(1968)や、1953年以降住み続けた三島市の記録映画『わが街三島 1977年の証言』(1977)を作り、晩年は病床にありながらも、最期まで松尾芭蕉の『奥の細道』の映画化を願い続けました。
本特集は、五所の没後40年という節目の年に、現存する最古の監督作品『マダムと女房』から遺作『わが街三島 1977年の証言』まで、計36本(33プログラム)の監督作と、五所の姿をとらえた3本の作品を上映する大規模な回顧特集です。当館ではフィルムセンター時代の1974年に開催した「五所平之助監督特集」以来、47年ぶりの特集となります。人間のたくましさも弱さも等しくとらえ続けた五所作品を通して、日本社会を生きる人々の等身大の姿があらためて浮かび上がってくることでしょう。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。
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