伊藤道史「私であることの試み/CONATUS」NEORT++

伊藤道史「私であることの試み/CONATUS」NEORT++

名称:伊藤道史「私であることの試み/CONATUS」NEORT++
会期:2022年10月22日-2022年11月13日
開館時間:14:00 – 19:00
休館日:月, 火, 祝日
入場料:無料
会場:NEORT++(ネオルトツー)
住所:〒103-0002 東京都中央区日本橋馬喰町2-2-14 maruka 3F
URL:NEORT++(ネオルトツー)

本展「私であることの試み/CONATUS」では、VRというニューメディアを通じて、〈身体=映像=ドキュメンタリー〉に新たな位相を思索する。伊藤は、映像そのものをオブジェクトとして捉えることで、映像をVR上で変形させる。記録された切実な問題を、その切り口の滲みや鮮度を失うことなく、ニューメディアによって可能な身体や知覚や体験といった問題に絡み合わせ、実験しながら私たちの前に配置していく。
展示は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う岡部氏へのインタビューを通じた映像作品や、VR睡眠についての思索によって構成される。岡部氏は、文字盤などを使用しながら1日に数時間ほど私たちに向かって言葉を発することができる。それは、その数時間のことばのために残りの時間を費やしているということでもあるだろう。ある意味、岡部氏の持つ言葉は、日々ニューメディアごとに対応した止め処ない新たな言葉、表現、目つきを獲得している私たちと対照的でもあるだろう。視覚的な伝達を通じてしか発することのできない言葉としての共通項を持ちながら、どうして私たちはこんなにも素早い軽蔑、簡素な慈しみを送り合うようになってしまったのだろう? VRやSNS、あるいはこれからもどこかで湧出してくるだろうニューメディアで、日々交換され共有される意識や体験や存在。それはもはや従来の「ヴァーチャル」概念では捉えきれない存在論としての豊穣さを孕んでいることを切実に体感できるだろう。私たちはヴァーチャルなものとリアルなもののトランザクション・統合を超えて、より無声音以上有声音未満の言葉の手触りのあいだを泳ぎ続けることになるのかもしれない。
生命の倫理に丁寧に向き合いつつ、〈身体=映像=ドキュメンタリー〉という複数の主題を、空間に写像=インストールする。そのようにして、微かに反射し残る木漏れ日のようなもの——伊藤が岡部氏へのインタビューを通じて触れようとしているもの——、そこに次なるヒューマニティーがあるように思える。そして、タイトルにある「CONATUS(コナトゥス)」は、「事物が本来持っている、生存しつづける努力」あるいは「生きる意思」という意味を持つ。制作にあたって伊藤は、カトリーヌ・マラブーの「可塑性」に着目しながら、別の存在がありえたかもしれない主体の可能性に目を向ける。そうして人間や映像、知覚などさまざまな存在に潜む「コナトゥス」に想像を巡らす。
伊藤道史 / Ito Michibumi
VRなどを用いた映像やインスタレーションによって、規模や距離、時間や知覚といった物理法則、そして言語体系や世界の認識の仕方が、そもそも別のあり方でありえたかもしれない状況を提示する。宗教や病理のリサーチを元に、VRが生むヴァーチャルなイメージとの比較を通し、生命の倫理に関する思弁と、現代のインターネットやデバイスなどが取り巻くメディア環境の中で他にあり得たかもしれない身体と〈わたし〉や〈わたしたち〉について考えている。 《クロールする蛹のためのレクチャー》(2021・TIME MACHINEなど)では、ハンモック状の筐体の上で全身を捻らせることにより、ミミズや魚や、あるいは形を持たない生物など、人間以前/人間以後の身体を駆使してプレイするVRを発表。 《XipeTotec Reality》(2021・渋谷PARCO)では、トウモロコシの神を模すために生きた人間の皮膚を剥いで着たアステカの祭りをリサーチし、現代においてアバター(英語ではSkin)を着て生活するVRの世界を思索した。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 「第十四回 I氏賞受賞作家展」岡山県立美術館
  2. わが街ながのゆかりの作家展 中村明個展「混ポジション」長野市芸術館
  3. 「東京造形大学 写真研究所 ―ミクロな視点とマクロな視点―」BankART KAIKO
ページ上部へ戻る