「河本五郎 反骨の陶芸」菊池寛実記念 智美術館

「河本五郎 反骨の陶芸」菊池寛実記念 智美術館

名称:「河本五郎 反骨の陶芸」菊池寛実記念 智美術館
会期:2023年4月22日(土)〜2023年8月20日(日)
会場:菊池寛実記念
時間:11:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
休館日:月曜日 7月18日(火)
   ※ただし、7月17日は開館
観覧料:一般 1,100円
   大学生 800円
   小中高生 500円
住所:〒105-0001東京都港区虎ノ門4-1-35 西久保ビル
TEL:03-5733-5131
URL:菊池寛実記念 智美術館

河本五郎「赤絵の壺」 1971年 h41.5×w33.6×d31.5㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「赤絵の壺」 1971年 h41.5×w33.6×d31.5㎝(撮影:渞 忠之)

河本五郎(かわもとごろう 1919~1986)は表現としての陶磁器を追求し、その概念を推し広げた作家の一人です。1,000 年以上の歴史を持つ陶磁器の生産地、愛知県瀬戸市に生まれ、幼少より瀬戸の窯業に身を置きますが、伝統的な技術や価値観を客観的に捉え、個人の創意でそれらに対峙しました。
河本の制作は、大きくは前半の陶器と後半の磁器に分かれます。陶器の制作では、やきものの造形美は土の性質を抽出し象徴することにあると考え、土の粗い表情や裂け目、歪み、ひずみを生かし計算し、様々な方法で素材感や物質感をダイレクトに造形化する作風を確立します。成形技法としてロクロに重きを置いた当時の瀬戸において、作りたいものに合わせて土や技法を選択、または開発する河本の姿勢は異質なものでした。
家業の染付磁器とは異なる制作で作家として自立した河本ですが、意志ある姿勢はそのままに、しかし陶器から磁器へ制作を移行させます。そして瀬戸の染付磁器と更にそのルーツとなる中国陶磁への考察をもとに、どちらとも違う自身の染付と色絵に取り組んだのです。それは自らの制作で陶磁の伝統や歴史に迫り、乗り越え、進展させようとする行為であったといえます。
本展は、東京で開催する没後初めての回顧展となります。陶磁器を表現素材と捉え、その創造に真摯に向き合った初期から晩年までの70余点で河本五郎の陶芸をご覧ください。

河本五郎「色絵撩乱の箱」 1974年 h39.5×w35.0×d42.0㎝ 瀬戸市美術館(撮影:渞 忠之)
河本五郎「色絵撩乱の箱」 1974年 h39.5×w35.0×d42.0㎝ 瀬戸市美術館(撮影:渞 忠之)
河本五郎「色絵史神文四方器」 1974年 h39.5×w33.0×d31.6㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「色絵史神文四方器」 1974年 h39.5×w33.0×d31.6㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「長壺」 1964年 h75.0×w34.0×d21.0㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「長壺」 1964年 h75.0×w34.0×d21.0㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「陶方壺」 1966年 h24.0×w33.0×d31.5㎝ 岐阜県現代陶芸美術館(撮影:渞 忠之)
河本五郎「陶方壺」 1966年 h24.0×w33.0×d31.5㎝ 岐阜県現代陶芸美術館(撮影:渞 忠之)
河本五郎「馬の明器」 1972年 h34.0×w70.0×d13.0㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「馬の明器」 1972年 h34.0×w70.0×d13.0㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「銀彩女人四方器」 1980年頃 h24.0×w37.5×d22.5㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「銀彩女人四方器」 1980年頃 h24.0×w37.5×d22.5㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「染付歌垣四方壺」1977年 h41.5×w32.0×d31.0㎝ (撮影:渞忠之)
河本五郎「染付歌垣四方壺」1977年 h41.5×w32.0×d31.0㎝ (撮影:渞忠之)
河本五郎「染付流沙幻相匣」 1984年 h27.5×w24.0×d23.0㎝(撮影:渞 忠之)
河本五郎「染付流沙幻相匣」 1984年 h27.5×w24.0×d23.0㎝(撮影:渞 忠之)

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 「第十四回 I氏賞受賞作家展」岡山県立美術館
  2. わが街ながのゆかりの作家展 中村明個展「混ポジション」長野市芸術館
  3. 「東京造形大学 写真研究所 ―ミクロな視点とマクロな視点―」BankART KAIKO
ページ上部へ戻る