中国古代農耕社会における家畜の問題について

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中国古代農耕社会における家畜の問題について 2007.11.27更新 

オンライン講座概要 講師:袁靖  中国社会科学院考古研究所 研究員 
前書き: 中国における古代農耕社会の成立はおよそ10000年前に遡るとみられ、その成立期の代表的な遺跡として、中国北部および長江中流域の江西省万年県仙人洞遺跡、吊桶環遺跡、湖南省道県玉蟾岩遺跡、河北省徐水県南荘頭遺跡等の諸遺跡を挙げることができる。発掘調査によれば、仙人洞遺跡と吊桶環遺跡、玉蟾岩遺跡からは、土器片や石器、骨角器に加え、イネのプラント・オパールやシカ科を主体とする野生動物の骨が出土し、南荘頭遺跡においても土器片や石器、骨角器などの人工遺物に伴って、やはりシカ科を主体とする野生動物の骨が出土している。

古代国家の形成

1 家畜出現の年

 中国における古代農耕社会の成立はおよそ10000年前に遡るとみられ、その成立期の代表的な遺跡として、中国北部および長江中流域の江西省万年県仙人洞遺跡、吊桶環遺跡、湖南省道県玉蟾岩遺跡、河北省徐水県南荘頭遺跡等の諸遺跡を挙げることができる。発掘調査によれば、仙人洞遺跡と吊桶環遺跡、玉蟾岩遺跡からは、土器片や石器、骨角器に加え、イネのプラント・オパールやシカ科を主体とする野生動物の骨が出土し、南荘頭遺跡においても土器片や石器、骨角器などの人工遺物に伴って、やはりシカ科を主体とする野生動物の骨が出土している。つまり、中国北部と長江中流域における古代農耕社会の初期段階には、農耕を伴う定住生活や土器の製作を認めることはできるものの、まだ家畜は存在していなかったと考えねばならない。
 中国においては、ウマ、ウシ、ヒツジ、イヌ、ニワトリ、ブタを「六畜」と呼ぶ。いくつかの遺跡の発掘により、これらの動物の家畜化の開始時期を示す手がかりが得られている。
 約9,000〜7,800年前の河南省舞陽県賈湖遺跡ではイヌの遺体が合計11個体出土した。また同遺跡からはイネとアワの遺存体が検出されている(図1)。
 約8,050〜7,580年前の河北省武安県磁山遺跡では、ブタ、ニワトリ、イヌの遺体が出土している。同遺跡からもアワが大量に出土している(図1)。
 甘粛省永靖県大何荘遺跡、秦魏家遺跡の両遺跡からは、ヒツジとウシの遺体が出土している。大何荘遺跡ではアワが大量に出土している。大何荘遺跡の年代は約4,064〜3,690年前である(図1)。
 ウマが家畜化された時期ははっきりしないが、甲骨文の記載や、車馬坑に埋葬されたウマの遺体出土によって、少なくとも約3320〜3050年前の殷代晩期までには家畜化されていたことが明らかである(図1)。
 なお、上述したように動物種によって、発見される家畜化の痕跡に顕著な時代差が認められることから、少なくとも肉食性のイヌ、雑食性のブタ、その他の草食性獣類の家畜化については、三者三様に異なったプロセスを経て進行した可能性が高い。

 2 家畜成立の前提

 

古代中国の家畜の中で特にブタに注目したい。家畜としてのブタの存在は、中国の古代農耕社会の特色の1つであり、当時の社会を考える上で重要かつ興味深い問題を提供する。
まず古代におけるブタの家畜化には、以下の条件がすでに成立していることが前提になると考えられる。
第1に、すでに農耕を基盤とする経済システムがほぼ確立していること。すなわち、植物性食料の計画的な管理・生産システムがすでに存在したことが、野生のブタすなわちイノシシの馴化から飼育へという活動を可能にする経済的条件を人類に与えた。
第2に、特定の植物性食糧を管理し生産性を向上させることに成功していたこと。このことが次の段階として、動物性食料に対しても資源管理を行なう方向へと人類を駆り立てていく要因になった。
植物性食料の栽培化すなわち農耕が、ブタの家畜化に先行することの必然性は、家畜飼料の問題を考える時なお一層はっきりする。すなわち、雑食性のブタの飼育には、人類の食料と同じ穀物主体の飼料を安定して供給することが必須の条件となる。
古代中国の文献資料に残る、ブタを始めとするウマ、ウシ、ヒツジ、ニワトリ等の家畜飼料のリストには、アワ・コメの「殻」が必ず記載されている。アワ・コメなどの殻には、炭水化物・蛋白質・ビタミン等の栄養分が豊富に含まれている。約4,000年前の山西省襄汾市の陶寺遺跡から出土した人骨とブタの骨を用いた食性分析の結果によれば、いずれもC4植物を多く摂取していたと指摘されている。同じ遺跡からは、C4植物の1つであるアワの遺体を大量に包含するピットが発見され、分析の結果を裏付けている。
以上の研究成果を総合すると、古代農耕社会のある時期から、人間の食料としてだけではなく家畜飼料としても、アワ(ないしアワの殻)が重要な位置を占めるようになっていたことが推察できる。
また前述したように、およそ8,000年前頃には、ブタの家畜化に成功していたとなると、その段階ではアワ等の穀物生産がすでにかなり安定した段階に入っていたと考えねばならず、それら穀物生産の始まりはさらに古くなる可能性が高いことも指摘できる。

 3 狩猟から養畜へ ―生業活動の変質過程―

 

 古代における家畜の出現と、それに伴う狩猟主体から養畜主体への生活様式の変質過程も、広大な中国大陸においては多様な地域性をもって各地に独自の展開があったと考えられる。しかし一方では、地域毎のそれぞれの流れの中に、共通した基本的プロセスを見出すこともまた可能である。黄河流域の新石器時代から殷周時代に属す23ヶ所の遺跡の資料を通して見れば、以下のように説明することができる。
 1) 約10,000年前: 遺跡から出土する動物遺存体はすべて野生動物により占められることから、すべての動物性食料の獲得は野生獣の狩猟に依存していたと考えられる。
 2) 7,000年前: 家畜種の遺体が出土することにより、初歩的な養畜の開始が認められる。ただし、シカ類などの野生種の遺体に比べると家畜種の出土率はあまり高くないので、この段階では生業活動の主体が狩猟に置かれていたことに変わりはない。
 3) 約6,000年前: この時期を境として、家畜種の遺存体出土量が増加する。すなわち、人類の生活が狩猟を中心とした状態から、養畜への依存度を徐々に強めていったことが指摘できる。この背景には、大きな自然環境の変化と伴に、人口増加による食料需要の増大があったものと考えている。

 4 古代における家畜の用途

 

1) 食用
 新石器時代以降の多くの遺跡から、バラバラにされた家畜動物の骨が大量に出土することによって明らかである。
2) 祭祀
 実生活に関わる用途とは別に、埋葬やある種の宗教的対象に対する何らかの儀礼に伴う家畜の利用を広い意味で「祭祀」として一括する。
 河南省舞陽県賈湖遺跡:合計10匹のイヌの埋葬。祭祀における家畜利用の現段階での最古の例である(図2)。
 安徽省蒙城県尉遅寺遺跡:集落を丸く取り囲むように配置された複数のピットに、ブタやイヌが埋葬されていた(図2)。
 河南省安陽市殷墟:「祭祀坑」に各種の動物が埋葬されていた。出土した種類は甲骨文の記載と一致する(図2)。
3) 畜力の利用
 「車馬坑」の発掘によって、戦車などの牽引にウマが利用されていたことが明らかである(図2)。またウシについても、甲骨文の記述から、耕地用にその畜力が利用されていたことが伺われる。

参考文献

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