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頣和園 2007.03.19更新
| 【和:いわえん】 |
| 【中:Yi he yuan】 |
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明・清
>頣和園
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頤和園は北京市西北部に位置し、敷地面積290haのうち、水域面積は約220haで、最初の名は清流園と呼ばれ、1750年、清の乾隆帝がその母親の誕生日を祝うために築かせた。1860年、英仏連合軍によって焼き払われ、ほとんどの建物は壊されてしまった。1886年、西太后は北洋水師の経費を流用し、清?園の跡地で再建させて、「頤和園」と名を改めた。10年の工期では合わせて3000万テールの白銀を費やした。1900年、頤和園は再び8カ国連合軍の野蛮な略奪と破壊を受け、1903年に再建された。
頤和園の主体は万寿山と昆明湖からなり、園の中には築山があり、池や清流がある。木々の茂みに点在し、変化に富んだ亭、台、楼、間はきちんと並べられている。全体は主に勤政区、居住区、遊覧区の3大部分に分けられる。万寿山麓の建築群は、全国の精華と言ってよく、その真ん中に聳え立った、高さ41mの仏香間は頤和園のシンボルである。排雲殿を中心とする1組の宮殿式建築群は、当年の西太后が誕生祝を受けたところである。万寿山手前の昆明湖畔に沿っては、合わせて273の大小さまざまな宮殿が立ち並び、全長723mの長廊により、勤政区、生活区と遊覧区は一体に連絡されている。頤和園は合わせて3000以上の各種殿堂楼閣、亭台水棚があり、昔から人工建造物と自然山水とを巧みに結びつけた造園手法によって名が広く知られている。中国古典庭園のトップの称がある頤和園は、中国で最も完全な形に保たれた最大規模の古代皇室の庭園である。
頤和園は中国各地の建築の長所を集めている。東部の宮殿区と内廷区は、中国北方を代表する四合院風格で、それぞれ密閉するように建てられた庭は、各種様式の回廊を通じて連結されている。南部の昆明湖区は典型的な杭州西湖の風格があり、昆明湖を三分する「蘇堤」は、観光客を杭州西湖に導いていく。万寿山の北側は、典型的なチベットのラマ用の風格を持つように築かれており、白塔があり、堡式建築がある。北部の蘇州街は、店舗が軒を並べて立ち並び、水路を行き来する船は、長江南岸の水郷地帯を思わせる。中国古典建築の精華を集めた願和国は、庭園建築博物館の名に恥じない。1998年、願和国は8世界文化遺産リスト』に書き入れられた。清朝の皇帝歴代の皇室庭園で、日本の皇居(御苑を含む)の約12倍、290万m2もの面積を誇る。清朝最盛期の乾隆帝が離官として造営し、西太后が1888年に復興したもので、万寿山と人造湖の昆明湖を中心に、山麓には木造の八角塔・仏香閣がそびえ、北京市民の憩い場となっている。
清朝末期の西太后この離宮を気に入り、長期に滞在したり、北京頣和園修築の費用を海軍予算から捻出したり…….日清戦争で清国・北洋艦隊が日本海軍にあっさり敗北したのは、こうして軍備費が減額されていたためというエピソードが残る。そういえば西太后は日清戦争さなかの1894年秋に、自らの60歳の誕生日を祝う盛大な祝典を頣和園で催している.西太后にとっては、戦争より造園の方が大切なことだったのかもしれない。現存するものは1903年に復旧したもの。出所:中国世界遺産「頤和園」
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