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西夏文化 2007.03.01更新

西夏文化

【和:せいかぶんか
【中:xi xia wen hua
宋・遼・金・元>西夏文化

 紀元11世紀の中葉から13世紀の中葉にかけてシルクロードに強大な武力を誇る王朝が出現した。一際鮮やかな輝きを放ち、忽然と姿を消した神秘の王朝―西夏。最近の発掘調査で、この謎に包まれた王朝の輪郭が基本的に解明された。何故、繁栄を極めた王朝が一夜にして滅亡したのか?何故、この王朝に関する歴史的記載がないのか?中国国家博物館が開催した『大夏導踪−西夏文物特別展』では、初めて西夏の文物が大量に公開され、幻の王朝を現実の世界に引き寄せた。 
寧夏回族自治州の首府・銀川市の西郊外にある賀蘭山の足下に、土地に人々に昊王墳と呼ばれてきた高低様々な黄色い砂丘がある。1971年の冬、考古学関係者がここに残された石碑の破片に失われた西夏文字を発見し、西夏王朝の王族の墓であることが判明した。これより、昊王墳はアジアのピラミッドと賞賛されるようになり、少しずつではあるが謎とされてきた西夏王朝の輝かしい文化が世界の人々に紹介されるようになった。
 ここ数年、西夏国のあった地域では、重要な遺跡や文物が出土し、この偉大な文化を誇った王朝の滅亡に関する謎も次第に明らかになってきている。
 1083年、李元昊が党頂族を主体に、漢族、回?(古代中国の北方から西北にかけて居住していた突厥語を話す部族)などの民族を含む国家政権を確立する。この国家は、その統括地域が当時の中国国境の西北部にあったことから、中国の歴史書では西夏と表記された。西夏は190年間存続し、皇帝は10代を数え、最盛期には寧夏の面積の13倍にあたる地域を統治していた。
 1205年、ジンギスカンがモンゴル軍を率いて西夏に侵攻。ジンギスカンはこの最後の遠征の途上で病死するが、1227年に終にモンゴルが西夏を征服する。ジンギスカンの弔い合戦となったこの戦いでは、モンゴル軍は西夏を破壊しつくし、50平方キロートルに及ぶ西夏王墓にさえ一つとして原型を留める装飾品を残さなかった。しかし、元朝(1271〜1368)の叙事詩の中に、西夏攻めのことを詠った一節があるため、西夏は中国史において名前のみ伝わる「謎の王朝」であり続けてきたのだ。
 文字で記載された資料は少ないが、出土した文物によって、中国と西方国家の交流の道・シルクロードに花開いた西夏文明は、中原の漢族文化の影響と騎馬民族の特色を同時に持った多元的文化であったことが証明された。 
西夏文化の中でも最も特徴的なものは西夏文字である。西夏文字は漢字に似せて作られ、漢字の筆画のはね、右はらいを多く用いており、現在のところ6千字以上が確認されている。西夏では公文書や商業上の文書、仏教経典にこの西夏文字が使われていた。明(1368〜1644)の中期以降は西夏文字を知る人はなくなり、謎の文字となった。1810年に正面に漢文、裏に西夏文字が刻まれた石碑が発見され、西夏は再び人々に認識されるようになる。その後、西夏文献の『番漢合時掌中珠』が発見され、西夏文字は更に世に広く知られるようになった。『番漢合時掌中珠』は、西夏人によって書かれた西夏語と漢語を対応させた熟語集である。1190年に出版されたものだが、非常に便利にできている。
 中原との長きにわたる往来で、党頂人は次第に農耕技術を学び、陶芸、印刷、金属製錬、金属器の製造、製紙、紡績などの手工業を発展させていった。
 西夏文明の発展は文明交流の結果であり、西夏王朝が自国の文化教育と人材の育成を非常に重視していたことの結果でもある。西夏王朝では印刷の専門的機構を設置し、政府が広めようとする書籍を出版していた。採用されていたのは木版活字の技術である。1990年11月、考古学者が賀蘭山の中腹にある廃墟で西夏文の仏教経典『吉祥遍至口和本続』9冊を探し出した。この発見は木版印刷の発明と使用時期を一時代前に改めさせる印刷史上における20世紀最大の発見の一つとなった。
 西夏文明はその謎ゆえに多くの学者の関心と研究の的となってきた。しかし、時間が経過するにつれ、西夏に関する文献や文物が続々と発見され、西夏文明はより具体的に、そして豊かに人々の興味を引くようになった。出所:「人民中国」 

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