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大型船棺 2007.03.01更新
【和:おおがたせんかん】 |
【中:da xing chuan guan】 |
春秋戦国>大型船棺
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四川省成都市の大型船棺
都市中心部で今から2500年前の大型船棺・丸木棺の埋葬された古墳が発見された。発掘の初期段階ですでに、中国最大の船棺・丸木棺古墳であると確認された。古墳は昨年の秋、市政工事の途中発見されたものであり、多棺合葬の竪穴式で、現在までに17の船棺、丸木棺が発見され、うち大型の棺は4つあり、最大のものは長さ18.8m、直径1.7mである。すべての棺は貴重な楠の丸木を彫って造られ、下には多くの枕木が縦横に敷き詰められている。推測によれば、盗掘される前には総数30を超える棺があったはずである。現存17の棺のうち、3つを除けばすべて盗掘されたり、漢代(B.C.206―A.D.220)に破壊を受けたりしているが、それでも7つ以上の船棺と丸木棺は比較的状態がよく、うち5つの棺は蓋まで完全な形に保たれている。発掘された17の棺のうち、3つの小さい船棺は盗掘されていない。どの棺も、外側はまんべんなく春音泥で塗り固められているが、春音泥には酸素を通さない性質があるため、木棺そのものも、棺内の漆器や竹器などの副葬品もかなり完全な形で保たれたのだ。古墳の東南で発見された丸木の巨大な柱跡から、古墳の近くに目印または祭祀物としての大きな丸木柱のような物があったことが分かる。これは、中国青海省循化県の商代(B.C.1600―B.C.1046)のカヨ文化古墳、およびオーストラリア原住民の埋葬形式にも類似する風習が確認されている。
船棺とは丸木を船形に彫って作った棺のことで、中国では国の文化財に指定されている。古代中国の南方では水路が発達し、「南船北馬(南方人は船に乗り、北方人は馬に乗る)」の説がある。船棺で埋蔵することには「舟に乗って他界に行く」意味がある。
同古墳の傍らに、ほぞのついた正方形の板が複数発見されており、これらの板が長方形をなして分布していることにも注意すべきである。ここから、同古墳が作られた当時、墓の上にまた地上建築物があったはずだと推測できる。これは古代の文献に記載された「前朝後寝」という宗廟と王族の墓の建築様式と一致しているが、出土品でこれを実証したのは初めてである。出所:「よみがえる四川文明」
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