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陝西龍山文化 2007.03.18更新
【和:せんせいりゅうざんぶんか】 |
【中:Shan xi long shan wen hua】 |
新石器時代>陝西龍山文化
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陝西龍山文化(B.C.2300~B.C.2000)
1956年、総称としての龍山文化から分けて命名されました。1955年に陝西省西安市客省庄が発見され、客省庄二期文化・客省庄文化とも呼ばれます。西安客省庄遺跡・斗門鎮遺跡・米家崖遺跡・長楽坡遺跡・趙家湾遺跡・岐山双庵遺跡・興平張耳村遺跡・武功趙家来遺跡など、渭河・涇河流域に分布しています。
分業により、農作技術や生産工具が改良され、建築技術も向上しました。土器の多くは泥質の灰陶で、籃紋・縄紋が見られ、三足器の鬲・斝も発達しました。余剰生産品がうまれ、私有財産制が芽生え、貧富の差が生じ、階級が出現しました。
陝西龍山文化は斉家文化と密接な関係(中国科学院考古研究所『澧西発掘報告』1963 文物出版社)にあります。
西安客省庄遺跡は、陝西省西安市西南20㎞の河西岸から発見されました。1933年に一帯を考古調査し、1955年中国科学院考古研究所王伯洪が発掘(中国科学院考古研究所『澧西発掘報告』)しました。
土器の多くは籃紋の灰陶で、三足器が発達します。花園村からは、文字・符号の刻された骨片が出土しました。
最下層は仰韶文化で、土器は紅地黒彩と白地赭彩の弧綫円点紋彩陶です。
陝西龍山文化層から、10座の竪穴式房址が発見されました。農耕具の穿穴のある長方形の石刀や、陶器などが出土しました。土器の多くは籃紋の灰陶で、三足器が発達しました。羊の肩胛骨の占卜も見つかりました。
<陶寺文化>
陶寺遺址(B.C.2500~B.C.1900)は、山西省襄汾件陶寺村南から発見され、面積は約300 万㎡です。1978~1983年、中国社会科学院考古研究所が面積6000㎡を発掘しました。陝西龍山文化陶寺類型の主要な遺址で、廟底溝二期文化と戦国・漢代・金・元の遺址も出土しました。
陶寺類型早期は廟底溝二期文化を継承し発展しました。土器は夾砂灰陶と泥質灰陶が主で、夾砂褐陶・泥質黒陶も見つかりました。彩絵蟠龍図形陶盤は、中原地区の蟠龍図形の最早標本です。彩り豊かで美しい彩絵陶器で、出土状況から判断して一種の礼器と思われます。龍紋は氏族・部族の標記で、殷周青銅器の花紋に近似しています。
玉・石礼器と装飾品の磬・鉞・環・琮などと、銅器も出土しました
。出所:小林松篁
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