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河姆渡文化 2007.03.18更新
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新石器時代>河姆渡文化
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河姆渡文化(B.C.5005~B.C.3380)
河姆渡遺址は、現在、発掘された場所のすぐ近くに復元されています。長屋の住居も復元され、ブロンズの河姆渡人が働き、生活の様子が具に伺えます。
河姆渡文化は長江流域の母系氏族共同体で、生産は半坡氏族と大体同じ水準です。磨製の石斧・石鑿を用いて樹木を伐採し、骨製の鏃を用いて野獣を狩り取りました。また、骨製の耜を用いて土地を掘り返しました。
150トンもの大量の人工栽培の稲籾が発見され、世界最初の水稲栽培が、黄河文明に先駆けて行われていたことが解りました。木で組んだ家屋を建て、わりあい安定した定住生活を送りました。アンペラ(敷物)も出土しています。
土器は夾炭黒陶か夾砂紅陶・紅灰陶で、動植物の文様が刻されています。そして、4つに分類される文化層の特徴を鮮明にあらわしています。
早期(3・4層 B.C.5000~B.C.4000)は、馬家浜文化羅家角類型と近似し、陶器は簡単でほとんどが夾炭黒陶です。そして、縄紋・幾何学図案と動植物図案の刻画が見られます。
晩期(1・2層 B.C.4000~B.C.3300)は、馬家浜文化馬家浜類型・崧澤文化の強い影響が見られます。陶器は夾炭黒陶が減少し、夾砂紅陶・紅灰陶が圧倒的に多くなり、鼎・鬹・盉が出現しました。(浙江省文管会・浙江省博物館「河姆渡遺址第一期発掘報告」『考古学』1978-1・牟永抗「試論河姆渡文化」『中国考古学会第一次年会論文集』1980 文物出版社)
河姆渡遺址(B.C.5005)は、浙江省東部、紹興の東方約80㎞の浙江省余姚県河姆渡村から、水田の排水ポンプ小屋の工事の際に1973年、発見されました。後2回の発掘が行われました。
河姆渡文化の人は、断髪していました。普通、髪の毛は人間の生命力の宿る大切な身体部分なので、伸びるに任せ丸めて結っておきます。この習慣は500年頃河姆渡の辺りに現れた越王勾践にも受け継がれたようで、『淮南子』に「中央の国では頭に冠を付けて笄を挿し、越の人は髪を切る」、『列子』に「越の人は髪を切って入墨をしている」とあります。
発掘により、最古の耳飾りが出土しました。また、粘土作りの人頭(『中国重大考古発現』・『中国原始社会雕塑藝術』)も出土し、林華東氏(『河姆渡文化初探』)は厄除けとしています。
河姆渡文化の人はひどい脊椎骨の変形や増殖などの疾患がありました。林華東氏(『河姆渡文化初探』)は、激しい肉体労働の結果としています。事実、掘立柱・板など、木造建築の廃墟が発掘され、木組みは、建築木材を生木の軟らかいうちに細工(『考古学報』1978-1)し、ズッシリ重い伐りたての状態で村の建築現場まで運搬しました。
住宅は幅7m、長さ100 mの長屋の高床建築で、地上よりほぼ1m上に人が居住し、下は家畜小屋でした。これは、当時は照葉樹林帯で気温が現在よりも2℃~3℃高く、生い茂った樹海の中で雨も多く、湿度が高かったためと推定されます。
家畜は犬・豚・水牛で、鹿・魚・亀・スッポン・貝を狩猟していました。また、猿の脳味噌を賞味していました。このことは、越人の祖先である証拠とされています。
土器には刻線で幾何学的な紋様が見られますが、彩文はありません。また、使われた土に鉄分が少なく、赤味はありません。木の椀に漆を塗った漆器も出土し、中国最古の漆器とされます。また、織物の機械(『文物』1980-5・『浙江文物』)、紡錐車・骨製の針(『考古学報』1978-1)も出土しました。
なお、生後間もない幼児を煮て食うという食人の習慣があり(林華東『河姆渡文化初探』)、「昔越の東に某という国があり、そこでは最初の子供が生まれると解体してこれを食べる。そうすると次々と子供が生まれるようになるのだ」と『墨子』にあります。また、首狩りの風習もありました。
家屋の板壁は長さ2m、幅約40㎝で、中が弧状に削られていることから、舟を改造したと考えられます。舟を象った土器(『浙江文物』・林華東『河姆渡文化初探』)も出土しています。櫂は堅い木で作られ、小口に幾何学紋(『浙江文物』)が見られます。しかし遺址に水辺はなく、舟は川岸に置き、櫂は村に持ち帰ったと思われます。
河姆渡文化の人は、日月神(日の中に鳥が入っているという中国伝説。日月の鳥の目)を崇拝しました。双鳥と天体の図柄(『浙江文物』・『中国古玉の研究』・『史林』74-4)、土器に見える動植物に原形をもつ写生でない象徴的な図柄(『浙江文物』・『考古学報』1978-1)、葉を束ねたような図像(『東南方化』1992・『文物』1980-5)など、河姆渡人の世界には空の鳥、地上の植物、水辺の植物、水中の魚などを原形とした神や精霊が多数いて、日用の器物にも飾られ、お守りにも使われました。(林巳奈夫『中国文明の誕生』吉川弘文館)。出所:小林松篁
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