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黄帝 2007.03.18更新
【和:こうてい】 |
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神話時代>黄帝
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黄帝の伝説
4~5000年前、黄河流域の氏族は、姜水の岸は姜・姫水の岸は姫といったように、居住していた土地の名を取って姓氏としました。また、動物の名や自然界の諸事象の名を取って、虎・豹・鳥・風・雲を姓氏としました。隣り合った数個の氏族は、互いに結び付いて部族を形成し、結果、氏族・部族の間に抗争発生しました。
黄帝は華夏族の祖先で、4~5000年前の黄河流域の一部族の首領です。阪泉の野で、神農氏の子孫と戦いました(『史記』)。五穀(黍・禝(粟)・菽(豆)・麦・稲)の栽培を奨励し、野獣を飼いならせました。
堯鹿の野で、南方の蚩尤の部族(九黎)・西方の炎帝の部族と衝突(『史記』)しました。蚩尤は大霧(煙幕作戦)でしたが、黄帝は指南車(羅針盤)を使用しました。蚩尤は殺され、その部族は遠方に移りました。それが半坡人で、南方人の特徴をもつことから九黎?ともいわれます。炎帝の部族は敗れて黄帝の指導に服しました。
黄河流域の多くの部族は、連合体を結成し、黄帝を部族連合の首領に推戴しました。黄帝は、ふだん堯鹿山(河北省堯鹿の東南)の麓に住んでいましたが、別の地方に移動することもありました。
部下に左右二人の大監がいて、黄帝を助けて連合内の各部族を管理しました。黄帝は、木造家屋・舟車・衣服・暦法など多くの重大な発明をしました。また、妻の祖は、蚕を飼って絹を織ることを発明しました。
臣の倉頡は、伏犧の八卦を一歩進め、鳥獣の足跡の形を絵に描いて、さまざまな事物を区別する符号(文字)を作ったとされます。出所:小林松篁
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