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堯舜と禅譲 2007.03.18更新
【和:ぎょうしゅんとぜんじょう】 |
【中:Yao shun he chan rang】 |
神話時代>堯舜と禅譲
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堯舜と禅譲
黄帝ののち間もなく、黄河流域の平陽(山西省臨汾一帯)に部族連合の首領の堯が出現しました。堯は、黄帝の曽孫帝嚳の子の放勲で、嫡子は丹朱です。堯が年を取り、各部族の首領に後継者について相談しました。放斉は丹朱を、驩兜は共工を、四嶽は鯀を推薦しました。しかし、丹朱は頑凶、共工は人格的に、鯀は9年経っても治水ができず、共に後継者にふさわしくないとされました。 堯の「貴戚であろうと、疎遠の者であろうと、隠匿(隠遁者)であろうとかまわない。あらゆる層から推挙してほしい。」との要請で、20歳で孝心深く家庭を和す舜が推薦されました。
舜は黄帝族であっても微賤の庶民出身です。父(瞽叟)は盲人で頑固、継母は誠意がなく口やかましく、異母弟は傲慢でした。舜は土地を耕し、魚を捕らえ、土器を製造するのが上手でした。彼の生産活動はたいへん成績がよく、人々の信頼を得ていました。
堯は舜(30歳)を試しに使って、3年間試験を行いました。舜はよく人物を見分け、多くの才能ある人を推薦して仕事をやらせました。堯は舜(50歳・摂政)に大変満足して、部族連合の首領の地位を彼に譲りました。
共工を幽陵に流して北狄に、驩兜を崇山に追放して南蛮に、三苗を三危に遷して西戎に、 鯀を羽山に熙(幽閉)して東夷に、それぞれ変えました。狄・蛮・戎・夷ははじめから辺境にいたのではなく、中原から追放されたのです。
舜は堯の職を代行、堯の死(舜58歳)後、61歳で正式に部族連合の首領となりました。禅譲はこうして行われました。出所:小林松篁
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