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二里崗文化 2007.03.18更新

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二里崗文化

【和:にりこうぶんか
【中:Er li gang wen hua
殷・周時代>二里崗文化

  およそ紀元前17世紀から紀元前11世紀、17世30王です。董作賓はB.C.1751からとしています。祭政一致の体制で、王すなわち法王(プリースト・キング)は、現人神です。自然神や祖先神を祭り、占卜を司る神職者でもあります。国家の首長として、現実の政治にあたりました。
 文官・武官からなる各種の官職があり、婦・子・侯・伯・亜・男・田・方の八つの爵位がありました。軍隊を編成し、1師が3隊、各隊が100人で構成されています。刑罰の制度があり、刑法は厳しく、湯刑は300条の法がありました。労働人民に対する階級的圧力が非常に残酷でした。
 領内の諸侯国は、商王の命令に服従し、土地の産物を貢物として献上しました。卜骨の裏側に献上した者の名前と枚数が刻されていました。また、兵隊を送って商王の作戦に従いました。特に西方と北方の辺境、土方・鬼方・羌方が商朝と戦闘しています。勢力範囲は、西は陝西省西部、南は長江以南、東北は遼寧省で、世界の大国だったと言えます。
 1950年代早期、鄭州市二里崗の発掘により、青銅器文化であることが確認され、極く稀に文字や記号が鋳込まれているものも出土しました。土器は、専業者の手に成った製品で、幾何学紋・植物の巻鬢状の線です。また、その種の紋様をつけるために土製のスタンプを使用しました。土器には黄緑色の釉が全体にかけられ、胎土は黄灰色で高嶺土を使用しました。原始磁器(『考古』1965-10)と言えます。農耕具・武器は、石から青銅への過渡期を示しています。
 農業が主産業で、奴隷が粟・黍・麦・稲を栽培しました。また、麻で布を織り、養蚕により絹を作りました。牧畜業は、豚・牛・羊・馬・鶏・犬などです。貴族は大量の家畜を抱え、祖先を祭る時には一度に1000頭も殺しました。
 手工業は、青銅器鋳造(銅と錫の合金)の仕事場があり、青銅器の器型は、饕餮紋など仰韶文化・龍山文化の伝統を受け継いでいます。爐の温度は1000℃前後で、刀や斧・戈や矛などの武器・鼎や酒尊などの器物を鋳造しました。
 鉄は天然の隠鉄を鍜えたもので、1972年以来、河北省藁城台西村・北京市郊外の商代遺址からも出土しています。
 奴隷主は、気が向くままに奴隷を鞭打ち、殺害すらしました。逃亡を防ぐため、奴隷の額に焼印し、首に縄をかけ、夜は手枷をし、家畜同前の扱いでした。
 暦法は、農業暦すなわち夏暦で、月の満ち欠け1回分を一か月とします。この夏暦は、夏から制定が始まったと伝承されています。
商は大体、夏暦を継承しました。1年を12か月、閏年を13か月としました。大の月は30日、小の月は29日で、1年は365.25日です。それを60干支を用いて表示しました。
早商(殷前期)年表
   ?成湯の太子太丁が即位前に死亡。 
成湯13年?成湯が崩じ、太丁の弟外丙が即位。 
外丙3年外丙(在位3年)が崩じ、弟の中壬が即位。 
中壬4年中壬(在位4 年)が崩じ、伊尹が太丁の子の太甲(太宗・成湯の嫡長孫)を立てて帝とした。 
太甲は不良で暴虐、湯の法に従わなかった。 
3年後尹が桐宮(湯の埋葬地)に追放。 
伊尹が政務を執る。 
3年後太甲が大いに反省…大政奉還 
太甲12年?太甲が崩じ、子の沃丁が即位。 
伊尹が死亡し、殷の国都の亳(祖廟)に葬られる。 
沃丁19年?沃丁が崩じ、弟の太庚が即位。 
太庚5年?太庚が崩じ、子の小甲が即位。 
小甲17年?小甲が崩じ、弟の雍己が即位…殷が衰えた。 
雍己12年?雍己が崩じ、弟の太戊(中宗)が即位。 
伊陟(伊尹の子)を用いて政務に努め復興、諸侯が来朝した。 
太戊75年?太戊が崩じ、子の仲丁が即位。(河南省敖倉?)に遷都した。 
仲丁9年?仲丁が崩じ、弟の外壬が即位。 
外壬10年?外壬が崩じ、弟の河亶甲が即位…殷がまた衰えた。 
河亶甲9年?河亶甲が崩じ、子の祖乙が即位。 
巫賢(巫咸の子)を用い、復興…三興 
祖乙19年?祖乙が崩じ、子の祖辛が即位。 
祖辛14年?祖辛が崩じ、弟の沃甲が即位。 
沃甲5年?沃甲が崩じ、兄祖辛の子の祖丁が即位。 
祖丁9年?祖丁が崩じ、沃甲の子の南庚が即位。 
南庚6年?南庚が崩じ、祖丁の子の陽甲が即位。 
仲丁以来の王位継承の乱のため、殷がまた衰えた。 
5度の遷都(山東省・河南省内の黄河の両岸) 
陽甲4年?陽甲が崩じ、弟の盤庚が即位。 
B.C.1384
(董作賓説) 政務に努め復興し、諸侯が来朝した。
19代目の盤庚が故居の殷(安陽県小屯)に遷都した…ここまでが殷前期。
その後12代、270余年間の都。
山東地区の薄姑・商奄が東方の重要な同盟国となる。 
殷(後期)
盤庚28年?盤庚が崩じ、弟の小辛が即位…殷がまた衰えた。 
小辛3年?小辛が崩じ、弟の小乙が即位。 
この頃、古公亶父(文王)が岐山の山麓に移り、国号を「周」とした。 
小乙10年?小乙が崩じ、子の武丁が即位。 
賢人伝説を見いだして宰相とし、殷が復興した。 
武丁59年?武丁が崩じ、子の祖庚が即位。 
祖庚11年?祖庚が崩じ、弟の祖甲が即位。淫乱のため、殷がまた衰えた。 
祖甲33年?祖甲が崩じ、子の廩辛が即位。 
廩辛4年?廩辛が崩じ、弟の康丁が即位。 
康丁8年?康丁が崩じ、子の武乙が即位。無道にして天神を戮辱した。 
武乙35年?武乙が雷にあたって崩じ、子の文丁が即位。 
文丁13年?文丁が崩じ、子の帝乙が即位…殷がますます衰えた。 
周の文王は岐を治め、仁政の名が天下に聞こえた。 
帝乙9年?帝乙が崩じ、子の帝辛(紂)が即位。無道な行いが多く、諸侯が叛いた。 
この年、周の文王が崩じ、子の発(武王)が継いだ。 
紂王52年?
=周武王11年殷と周が牧野で戦い、殷は敗れて滅亡。出所:小林松篁

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