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龍門石窟 2007.03.20更新
【和:りゅうもんせっくつ】 |
【中:Long men shi ku】 |
隋・唐・五代>龍門石窟
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5世紀の末、北魏王朝の孝文帝は洛陽に都を置き、その命により龍門石窟の開削が始まった。石窟の開削は以後400年も続けられ、約10万体の仏像が彫られることになる。これほどのスケールと歴史、貴重な資料が残る石窟は世界に類を見ない。中国仏教芸術のひとつの頂点である。
龍門石窟の6割は、唐の時代に造営された。当時の唐は、世界で最も栄えた大帝国である。なかでも圧倒的なスケールを持つのが奉先寺。盧舎那仏を中心に、巨大な菩薩、弟子、天王、力士像が見る者を圧倒する。盧舎那仏のモデルは中国史上唯一の女帝、則天武后だと言われている。万仏洞は唐代の永隆元年、すなわち西暦680年11月30日に完成した。則天武后が、権力をほぼその手中に収めた時期にあたる。壁面には、約2cmの仏像が15000体彫られている。大乗仏教の世界観を表現したものである。巨大な大仏とは対照的だが、石窟を掘る労力とエネルギーのすさまじさを感じさせる石窟である。
6世紀に完成した、賓陽中洞。過去、現在、未来の如来と、弟子、菩薩が、訪れた者を優しく包みこむように並んでいる。仏は皆、微笑んでいる。北魏仏の特徴である。首都であり、国際都市だった洛陽。何世紀にもわたり、様々な人々が龍門石窟を訪れ、中国仏教美術は東アジア全域に広がっていった。 出所:中国世界遺産「龍門石窟」
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