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牛虎銅案 2007.03.22更新
【和:うしとらどうあん】 |
【中:Niu hu tong an】 |
春秋戦国>牛虎銅案
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牛虎銅案は戦国時代(紀元前475年~同221年)の青銅器である。高さ43センチ、長さ76センチ、重さ17キロ
紀元前約300年から同280年の間、楚国の将軍、荘キョウは、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘は、現在の昆明の近くにあるテン池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前287年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘キョウが楚に帰る道を切断した。このため荘 は部下とともに雲南に留まらざるを得なくなり、土着の住民とともに開発と生産に従事し、テン王国を建てた。
王国では自然で自由な、そして開放的なものが尊ばれ、漁猟農耕の後に人々は歌舞音曲を心ゆくまで楽しんだ。ここはまた、古いシルクロードの西南の道にある重要な宿場町で、多くの国々の商人や南北の民族がここに集まり、商業や貿易が文化交流を促進した。当時の盛況ぶりは、昆明の南約百キロの江川県の李家山から出土した古代滇国の青銅器に詳しく描かれている。
1972年に出土した「牛虎銅案」(案は長いテーブル)は、昔、祭祀の際に牛や羊などの供物を載せる器具である。
テーブルは、二頭の牛と一匹の虎からなっていて、立っている大きな牛の四本の足がテーブルの足となり、楕円形の牛の背中がテーブルの台になっている。大きな牛は慎重な中にも果断な表情をしており、首筋の筋骨は盛り上がり、両の角を前にのばし、重心を前にかけている。大牛の尾の端には、一匹の虎が高みに上って遠くを見ており、これによって前方にかかっている力との平衡が保たれている。
大牛の腹の下には小牛が前向きに置かれている。小牛は素直でかわいく見える。これによってテーブルの安定性をさらに強めている。
古代のテン国の青銅器は、冶金鋳造技術の面ですでにかなり高い水準に達していた。この「牛虎銅案」に使われている分鋳法と溶接技術も、非常に優れたものである。分鋳法というのは、器物の主体部分と付属部分とを別々に鋳造し、これを溶接する技術で、滇ンの人々の冶金鋳造技術の高さを見ることができる。出所:「人民中国」 魯忠民
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