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殷周時代  2007.04.15更新

殷周時代

【和:いんしゅうじだい
【中:Yin zhou shi dai
殷・周時代>殷周時代

  司馬遷の『史記』は、五帝から筆をおこしている。三皇(異説はあるが、伏義、女媧神農)を歴史と認めない考え方である。とはいえ、五帝の筆頭の黄帝にしても神話色は濃厚だが、歴史を反映していると思われる部分もあるようだ。
五帝につづいて三代(夏・殷・周)は歴史時代だが、夏王朝の存在はまだ確認されていない。殷王朝についても、後世の史家によってつくられた架空の存在とする説が強く、『史記』の殷本紀に記された三名は、五行説によって後人が勝手につくったと主張する学者もいた。だが、二〇世紀に入って、殷墟が確認され、発掘調査が行われ、殷工朝架空説は完全に否定された。出土した甲骨片に記された文字によって、『史記』の殷王統譜の名もほとんど正しいことがわかった。
まだ確認されていない夏王朝の性格は不明だが、殷王朝は祭祀におびただしい禽獣を犠牲にささげ、そればかりか人間を殺して供えているところをみると、遊牧民的な色彩もあったようだ。
中国の傳斯年(1896-1950)は、夏と殷とは、タテにつづいているのではなく、同時に東西に併立していた可能性があると唱えた。有名な「夷夏東西説」であり、殷は東方の夷族、夏は西方の夏族であったとする。黄河流域に文明が発達したが、長い流域には異なる雰囲気のもとに、それぞれ独特の形をもつ文化を育んだことは考えられる。
考古学的にみると、五帝期から夏初と考えられる時期は新石器時代にあたる。半坡や仰韶の遺跡は五〇〇〇年から六〇〇〇年ほど前の石器類が出土する。新石器時代晩期の竜山文化(山東省歴城県竜山鎮で発見された遺跡)は、轆轤を使った黒陶が特徴である。半坡や仰韶の彩陶は轆轤をほとんど使っていない。仰韶文化を彩陶文化、竜山文化を黒陶文化と呼び分け、従来、二つは異質の文化と考えられていた。だが、河南廟底溝遺跡の発掘によって、この二つの文化のルーツは一つだということがわかった。廟底溝遺跡では、仰韶文化から竜山文化に移る過渡期の様相がはっきりとあらわれていたのである。
殷墟から出土した甲骨片の文字によって、殷の滅亡は紀元前一〇二八年ごろであったことが判明している。周の文王、武王、太公望といった役者がそろい、殷にかわる新しい王朝が成立した。
周は后稜の子孫と称している。后稜とは農業神だから、農業国であったといえる。周の首長は殷代では西伯と呼ばれていて、殷の西方の大名で、朝貢関係があり、殷の先進文化をとりいれ、次第に強大になったようだ。周は要地に同族と親縁のある氏族を首長とする植民都市国家をつくった。これがいわゆる「封建」であった。
青銅器時代にはいって、生産力が高まり、人口が増え、人間の活動する地域が広がったので、それに対応したのである。
「殷周革命」という言葉があるように、殷と周との政権交替によって、大きな変化がもたらされた。思想面でいうと、殷は鬼神を信じ、天命は人間の力ではどうしようもなく、ただ占卜によって天意を知り、それに従うだけだと考えていた。周は人間の努力によって、天命はある程度改善できると考えていた。周は人間主義であったといえる。周の制度をつくった周公を、孔子は尊敬してやまなかったが、「儒」の基本にはこの人間主義があったのだ。すこし誇張していえば、中国は鬼神の支配する国から、人間が支配する国になり、生活におどろおどろしさが薄れ、住みやすい雰囲気になったといえる。
ただし、青銅器をみると、周はついに殷をこえることはなかったといわざるをえない。どうやら殷人は芸術的にすぐれた集団であったようで、躍動する造型美は、周人の追随を許さないものがある。
周は武王からかぞえて一二代目の幽王のとき、勢いが衰え、侵攻した犬戎族によって殺され、その子の平王が東に逃れ、諸侯の援けをかりて成周(洛陽)で辛うじて生きのびることができた。
幽王は褒?という美女を愛し、太子を廃して、彼女の生んだ子を立てようとしたため、内乱がおこり、そのため犬戎の侵入を防ぎえなかったといわれている。だが、内乱は王の家庭内の事情だけによるのではあるまい。このころ、周は軍事力の強化に狂奔していた。犬戎など塞外民族の台頭があり、それに備えることもあったが、王の徳が衰え、人民に対する警戎もあったであろう。締め付けがきびしくなり、主君は民心を失ったのであろう。
幽王の太子は東に逃れ、「東周にと呼ばれる時代が紀元前七七一年からはじまった。それ以前は西周で、武王の建国以来二五〇余年であった。東周は辛うじて生きのびたとはいえ、天子はほとんど有名無実の存在となってしまったのである。出所:「中国ー世界の歴史と文化」

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