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チャン族 2007.04.20更新
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チャン族は、青蔵高原東端の、江(長江水系)が形成した海抜高度2000~3000mの峡谷地帯に居住する。人口は198,303人(1990)で、四川省西北部の阿蔵族羌族自治州に集中して暮らす。このうち全国唯一の羌族自治県である茂羌族自治県にはその約41%が集中し、近隣の理県や川県、松潘県、北川県などにも分布する。自称はルメ、ルマ、メ。言語はチベット・ビルマ語系チャン語群に属するチャン語で、南部と北部の方言に大別される。ただし北部方言を用いる黒水県の約6万人は、五十年代の民族識別以来チベット族とされている。固有の文字はもたない。
歴史的には、古代の商王朝(1000BC前後)の甲骨文字に記された遊牧民「羌」の末裔とされる。
古代「羌」はやがて漢族と融合し、あるいは一部が中国西南部の江や大渡河、雅江、金沙江、瀾滄江、怒江などの六大河に沿って南下した。現在ここに居住する四川のチベット族諸集団やプミ族などは古代「羌」の一支系と目されており、チャン語群に近い言語や巨大な石塔、白石で象徴された山神信仰などチャンとの共通の文化的要素が指摘されている。また唐代には、西から進出してきた「吐蕃」(6-7世紀に勃興したチベット族王朝)に対して中国王朝軍の兵として戦い、諸「羌」のほとんどが歴史から姿を消していった中で、唯一存続した。
集落は海抜高度2000~3000mの山腹斜面に3階だての石造家屋が密集して並ぶ。また集落の中央部や眺望のきく場所には高さ20~50mの巨大な石塔が聳えている。これは敵の侵入を見張り、それに対する防御を目的とした石積みの塔で、戦時には住民が水や食料、武器、家畜を入れて立てこもった。基部は一辺が数メートルの三角形や四角形、五角形、六角形で、内部は十数層に分かれて上方にむかって緩やかに細くなっている。
主な生業は農業で、トウモロコシやジャガイモ、チンクー麦などを栽培して食料を自給する。また、ブタやヤギを飼育して肉をタンパク源とし、毛や皮を衣料の原料に、糞を燃料や肥料に利用する。現金収入は、貝母や羌活などの漢方薬材の採取や伐採の出稼ぎなどによる。今世紀初頭までは伝来の石積み技術をいかした成都盆地への築堤や井戸掘りの出稼ぎが盛んであり、1930~40年代にはアヘン用ケシの大産地でもあった。しかし1980年代の生産責任制導入後はサンショウやリンゴの栽培が奨励され、現在では茂リンゴの生産が知られている。
父系家族を基本単位とし、父系親族集団ごとに固有の火葬場をもつ。火葬を伝統としていたが、清末頃から漢族の影響を受けて土葬が主流になった。自然界の諸霊の存在を信じ、「シピ」(宗教職能者)を擁する。特に白石「ウルピ」によって象徴された山の神を信じ、家の屋上や山頂、神樹林に白石を奉じた石塔「ナヘシ」を置く。かつては春の耕作開始時と秋の収穫後に山の神祭り「祭山会」が盛大に行われた。このうち秋の祭山会は彼らの伝統の新年「羌暦年」であり、1998年に州の条例で祝日に定められた。
出所:松岡正子
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