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秦始皇兵馬俑博物館 2007.06.26更新

秦始皇兵馬俑博物館

【和:しんしこうへいばゆうはくぶつかん
【中:Qin shi huang bing ma yong  bo wu guan
研究機関|秦・漢・三国>秦始皇兵馬俑博物館
 

陜西省西安市臨潼区の秦陵鎮にあり、大型遺址と博物館である。その主な展観は秦の始皇帝陵の1、2、3号兵馬俑坑遺址および秦の始皇帝陵文物陳列館である。1974年3月に、奏の始皇帝陵から東へ1.5キロ離れたところで秦の始阜帝の頃の大きな兵馬俑坑が見つかり、その後の発掘、整理を経て、兵馬偏坑が三つとなり、面積は2万余平方メートルで、7000体の兵馬偏からなる巨大な戦陣を構成するものとなった。これを基礎として、1、2、3号兵馬俑遺址陳列館が建てられた。館内には主に秦の始阜帝陵の西側から出土した2台の彩色上絵の鋼車馬、1948点の陶俑、陶馬、青銅兵器、車馬器などが展示されており、秦の始皇帝が生前に中国の統一を目指した偉大な戦闘の場面を反映している。秦の兵馬俑はその雄大なスケール、抜群の彫塑芸術で内外を驚かせ、1987年にユネスコに「世界文化遺産リスト」に組み入れられた。出所:中国の博物館案内
秦の始皇陵は陝西省臨潼県驪山のふもとに位置し,西安から35キロ離れている。陵園は内城と外城からなっており,内城の周囲は2,525メートル,外戚周囲は6,264メートル,面積は2平方キロである。陵墓は陵園の南部の中心に位置し,高さは五十余丈(約120メ-トル)あり,1961年国務院によって重点文物保護単位に指定された。  1974年3月,宴寨公社西楊生産隊の農民が井戸を掘っている時,泰の治皇陵兵馬俑陪葬坑を発見した。俑坑は陵墓から1,500メートルのところにあり試掘と実測を行なった。第1号坑は深さが約5,メートル,東西の長さが230メートル,南北の幅は62メートル,長方形の地下土木建築であり,面積は14,000余平方メートルである。坑内の四方には東西南北それぞれ5つの斜彼の墓道がある。第1号坑の北20メートルのところの東西両側に2,3号俑坑がある。
 第1号俑坑から,陶俑,陶馬が約6,000体,戦車6台が出土した。俑の高さはみな1.8メートル前後,馬は高さ1.5メートル,長さ2メートルである。坑の東部は南から北へ長廊となっており,そこには兵俑が3列横隊に配列され1列に70体の戦袍をきた兵俑があり,軍陣の先峰のように思われる。そのうしろ,東西方向に11の通路があり,38列縦隊の兵俑が配列され,軍隊の主力のように思われる。坑の南北両側と西端にはそれぞれ1列の武士俑があり,顔がみな外側を向いているので,軍団の側翼及び後衛と見られる。その他,青銅剣,呉鈎,鏃などの武器が出土している。
 2号俑坑は面積約6,000平方メートルで,平面が曲尺形である。騎兵,戦車及び歩兵(弩手も含む)をまじえて編成された曲形陣であり,陶俑,陶馬が約1,000体,また各種の実戦用武器も出土した。  3号俑坑は面積が約500平方メートル,凹字形となっており,衛兵俑が68体,戦車1台がある。1,2号俑坑の軍隊を率いる指揮機関のように思われる。 2,3号俑坑は試掘された後,埋めもどされた。  1975年,国務院の批准を経て1号坑の上に大規模な大形博物館が建てられた。その建物の幅は70メートル,長さは230メートル,高さは22メートル,総面積は16,000平方メートルである。 1979年の国慶節に一般公開された。現在,兵馬俑遺跡の外に,2つの歴史文物展示室も建てられた。  1980年,秦の始皇陵の西側で,大きな銅製の車,馬,俑2組が出土した。2台の車それぞれに銅馬4頭,御者俑1体が付く。車の屋根の文様は華麗で,車の窓は透し彫りを施し,鞍や轡には金銀象嵌の紋様がある。これはわが国の考古学史上の一つの重大な発見である。これらの貴重な秦代文物は,疑いもなく世界の偉大な奇蹟の1つといえよう。現在,秦治皇兵馬俑博物館には特定テーマによる展示室が設けられ,出土したそれらの文物を展示している。 窑 2 咸陽市博物館  「咸陽」は秦王朝の都の所在地であり,秦孝公十二年(B,C. 350年)から秦王朝の滅亡(B.C. 207年)まで,144年間にわたり,咸陽に都がおかれ政治がとられていた。秦の始皇帝が六国を統一した後,咸陽は秦王朝の政治,経済,文化活動の中心となった。奏の高祖劉邦は秦末期の農民大蜂起を基礎とし,改めて統一を完成させ,前奏王朝を樹立した。そして渭水の南に漢の長安城を建てた。したがって,秦漢時代の文物は大変豊富で,文化遺跡と古墓葬が咸陽平野のいたるところに散在している。
 1962年,咸陽孔子廟の旧跡に咸陽市博物館が建てられ,陝西省の主な観光名所の一つとなっている。陳列面積は,800平方メートルで,展示文物は3,000件余り,歴史文物展示とテーマ別による展示の2つの部分がある。  歴史文物展示には4つの展示室がある。1室から3室は,秦代の歴史文物が展示されており,例えば,鉄製生産工具,青銅武器,度量衡,貨幣,宮殿建築の遺跡など,秦の孝公から始皇帝が統一を完成させるまでの業績を直接,実物をもって示している。
 展示されている透し彫りのある陶豆,大鴨蛋陶壺及び冷蔵設備をもつ陶窑穴,井戸,五角水道,滲井漏斗などは形が大きく,精巧なものである。これは,咸陽の建設が,かなり大規模であったことを示している。又,最初の考古学調査で発見された,錦,絹,綺(平地の綾)など絹織物の模様は,漸新で華麗であり,秦代の紡織業の研究にとって重要な実物資料である。金銀象嵌の燭台,夔龍紋銅鏡などは,秦代の工芸がすでにかなり高いレベルに達していたことを物語っている。特に,1966年,咸陽塔児坡遺跡で出土した「安邑下官鐘」は歴史的価値が大変大きく,泰代の商鞅変法による度量衡の統一措置として,標準計器を公に設けたことを実証するものである。また,これは文字の変遷を研究するための重要な資料でもある。
 咸陽1号宮殿遺跡は,咸陽宮建築群のうちの高台建築遺跡の1つである。建築全体は主従がはっきりしていて,殿堂,通りぬけの広間,居間,廻廊,倉庫と穴倉などの部分からなっている。それぞれの建築は使用と機能の面で通路,採光,排水などに気を配り,かなり合理的な配置がなされている。これはわが国の建築史上,はじめての発見である。
 秦宮1号遺跡から,陶文259個体,84種が出土した。これは秦代に小篆をおし広め隷書の普及に力を入れていたことの証拠である。これらの陶文はあきらかに,陶工が印したものであり,この「物勒工名(製品には工匠の名を入れるべし)」の制度は,秦の法治精神の手工業生産の分野における表われである。陶文は,わが国の文字の変遷,隷書の発生,秦治皇帝の「書同文」前後の文字改革,及び手工業管理制度などを研究するのに重要な資料を提供している。又,華麗でおごそかな秦代壁画は項羽の破壊によって多くは残片になってしまったが,色彩は黒色を主とし,多くは鉱物質の顔料を使っていて,絵画芸術の特色が知られる。
 第4展示室は,前秦の文物が展示されている。そのなかにみられる鉄すき,鉄鋤(くわ)は,食糧,食糧倉庫がそうであるように,漢の初期の重農抑商という政策によって,前漢の農業生産が,わが国におけるはじめての大隆盛期を迎えたことを物語ってくれる。農業の繁栄にともない,牧畜業も大変盛んになった。このことは,展示物の中に陶牛,陶豚,陶羊などがあることからもわかる。五銖銭は前奏時代に,全国で通用していた。これは郡国による個々の貨幣の私鋳を禁じ,造幣権を中央に帰し,貨幣の再統一を実施したからである。
 鉄長剣,鉄柄刀の普及,発射器つき銅弩,及び敵の騎兵に対抗するための銅馬刺は,中央集権制を強化し,匈奴貴族の侵犯を防衛,反攻し,民衆の生活を安定させるのに大きな役割を果たした。
 2つのテーマ別による展示室に展示してあるのは楊家湾漢墓従葬坑から出土した加彩陶俑と騎馬俑である。楊家湾奏墓は規模が宏大であり,地下につくられたで楼閣式建築で,漢高祖劉邦の長陵の賠葬墓の一つである。出土した陶俑,陶騎馬俑は約3,000件余りであり,「三千人馬」と呼ばれている。これらの俑と馬は,それぞれ10ケ所の坑内に配列されており,前の6つの坑には騎馬俑,後の4つの坑には陶俑があった。騎馬俑は大,小の別があり,色は,赤黒色や黄紫色などで,馬の姿態は静立しているものあり,頭をもち上げて,いなないているものもある。臀部,尾部あるいは馬俑の背中には,さまざまな数字と記号が刻まれている。陶俑も大,小2種類あり,多くは武士で,文官,楽舞,雑役の陶俑もある。そのうち指揮俑は,僅か一件のみであったが,華麗な色をしており,奇異な姿態のあまり例のない珍しいものである。これらはみな前奏の政治,軍事を研究するための重要な資料である。「参考資料」『中国唐俑の美』

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