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乾陵博物館 2007.06.27更新

乾陵博物館

【和:けんりょうはくぶつかん
【中:Qian ling  bo wu guan
研究機関|隋・唐・五代>乾陵博物館

  陝西省咸陽市乾県の北側にあり、皇帝陵墓遺址博物館で、中国で初めてのAAAAクラス観光スポットである。乾陵は唐の高宗李治(紀元628-683年)と中国の歴史に唯一の女性皇帝則天武后(紀元624-705年)の合葬墓で、陜西省にある唐代の18カ所の上帝陵墓の中でも最もよく保存されている。陵菓は唐の長安城をまねてつくられ、スケールが大きく、建築物が華麗で、「歴代の皇陵のトップ」と称されている。陵墓の南東側には扇子の形で皇太子、皇女、親王、大臣などの副葬墓が17カ所配置されている。同博物館は展覧面積が1700平方メートル、文物の粋と言えるものが800余点も展示されており、「乾陵文物の粋展」、「乾陵副葬墓出土壁画、石停線刻間の粋展」、「水泰公主墓石惇展」などの展覧があり、さまざまな貴重な文化財4000余点が展示されている。出所:中国の博物館案内
乾陵は唐の第三代皇帝高宗李治と則天武后を合葬した陵墓であり,陝西省乾県県城の北6キロの梁山の上に位置し,西安から80キロのところにある。
 乾陵は山を陵墓とし,気宇雄大である。陵墓の前には,南から北に対称的に望楼,華表(石柱),駝鳥,石人,石碑,それに賓客の像など巨大な石彫が並び立ち,誠に壮観である。
 「述聖記碑」は則天武后の撰文で中宗が書いたものである。高さは6.3メートル,碑頂は廡薮沢であり,台座は線刻で獣紋が施されている。そのあいだは5段にわかれているため「七節碑」ともいわれている。
これは高宗の文治と武功を讃えたものである。「無字碑」には文字が一つも刻まれていない。則天武后が自分の功績は文字では言い表わせないほどきわめて大きいことを示したと言われているが,別の説によると則天武后の遺言に「己の功過は後人によって評せよ」とあり,無字碑のもつ意味が充分はっきりしているのだという。 61体の賓客の石像は朱雀門の両側に立ち,高さは普通の人間とほぼ同じ大きさで,みな細い袖の服を身につけて,祈祷のような姿をしている。もともとこれらの石人の背中には国名,役職,名前などが刻まれてあったが,いまでは判読できなくなっている。これらは高宗を弔いに来た少数民族の首領や外国の使節を記念するために刻んだものである。当時,外国との友好往来が盛んであったことを物語っている。
 乾陵の周囲の長さは約40キロである。考古学調査によると陵墓の封土がよく残っているので,おそらく盗掘にはあっていないだろう。陵園内には17の陪葬墓があり,すでに発掘された章懐太子,徳徳太子,永泰公主の3つの墓葬を整理,復原し,一般公開している。これらの墓は地上の型式及び内部構造も殆んど同じであり,墓の周囲には塀があり,塀の南には華表,石人,石羊などがある。又墓内には過洞,天井,画道,前室,後室などがあり,このような構造は,広大な邸宅を象徴している。墓からの出土文物は豊富で多彩である。例えば章懐太子墓から出土した高さ1メートルばかりの文官,武士と鎮墓獣はその形が大きく,たいへん珍しいものである。釉色つややかで服飾あでやかな永泰公主墓から出土した女子騎馬俑や,懿徳太子墓から出土した金貼のよろいをつけた馬,狩猟騎馬俑などはたいへん珍しい文物である。
 その他3つの墓からは数多くの絢爛多彩な壁画が出土している。例えば「侍女図」の宮女は,顔が豊満で短い上着に柄の入ったスカートを身につけ,肩から布をはおり,風采はそれぞれ異っていて,当時の宮廷生活を反映している。又,「建築図」では4つの廡殿式望楼が4つの楼台の上に聳え立ち,雕梁画棟(梁や柱を絵やレリーフで飾る)の大へんきらびやかなものである。これは唐代の建築学の研究に重要な資料である。「客使図」は唐代に中国と外国との友好往来のあったことを証明している。1961年国務院によって国の重点文物保護単位に指定され,1970年以降,「乾陵博物館」と改められた。現在,歴史展示室が2つあり,その他3つの墓葬も公開されている。そして,ここは主要な観光名所の1つとなっている。「参考資料」『中国唐俑の美』

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