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節愍太子墓 2007.07.28更新
唐
陝西省富平県
節愍太子李重俊(?~707)は中宗の第3子である。神龍2(706)年に皇太子となったが、葦后に疎まれ、反乱を起こして殺された。死後、定陵(中宗の陵墓)に陪葬された。1995年の発掘によって内部構造が明らかになった。墓の全長は54.25mで、内部は墓道・5つの天井・壁龕・甬道・小前室・後室からなっている。過洞・天丼の壁には、宮女・文官・宦官の壁画が描かれており、保存状態が非常に良い。出所:「世界四大文明・中国文明展」
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